2016年2月22日月曜日

群雛レビュー2月分/本誌と別冊まとめてドン。


 はいー、群雛レビュー。すまん、だいぶ遅れました。だいぶというか、もう次の号でちゃったよねという。いや、胸痛がひどくて……。心労というより加齢とかいろいろらしいです。「病気になると判断も鈍る。病気ですかっ!」って、アントニオ猪木さんの「元気ですかっ」の逆やってる場合じゃない…。ま、私事スマヌ。

 今回は2本です。んがぐぐ。

専業とプロのあいだ

 ううむ、デイジョブかー。知ってたけど、私の場合はもうすっかりデイジョブはただの事務のおっちゃんだからなあ。推理作家協会所属しててもいいことあんまないし。ほんと、そんな目から見ると藤井さんがただただ眩しく見える。だからもう私からは何も言えない。
 SFWAの入会基準とか面白い。そういや最後の作家の資産、ってのは、実は一応私にも少しいる。しにそうになったこの1ヶ月の間、随分助けてくれました。
 それにしても、作家をデイジョブにするには私は色んな意味で足りないし、足りるようにも思えないなあ。頑張って書いても、結局能力の限界だよなあ。
 ほんと、藤井さん、眩しいよ。こういう人がこれからのSFを担っていくと思う。私が狭義のSFの人たちに受けた仕打ちを思い出すと、藤井さんのほうがずっとタフで立派だなと思う。
 小説書くのって、ホントはものすごくタフじゃなきゃダメなんですよ。だから私はその資格がない。私は多分これからもずっとセルフパブリッシングの端っこで今後もほそぼそとやっていくしかないんだと思う。

一小路真実は興味がない 晴海まどか

 読んで、あ、ヤラレタ、と思った。
 前回は本気でこっちの興味弾かれちゃう強力なATフィールドはられちゃったけど(すでにこの時点で昭和生まれの頭)、でもそれは今回でやっぱりこの著者の計算のうちだったんだなあと合点がいった。
 前回の私を拒絶するすごく厳しいATフィールドの向こうには、やっぱり風味絶佳の展開が。
 いや、もうね、こういう世界、私はどうやっても好きと言わざるをえないんだよね。ぜんぜん抗うことが出来ないの。好きすぎる。
 すごく吟味されたところにきちっとオチたところが、ほんとばっちり計算通りだろうなという。落差もバッチリ決まってるし。
 ちくしょう。私、1ヶ月しっかり計算通りに踊らされちゃったよ。く、悔しいほど。というわけで本日の『負けオランジーナ』決定。くっそー。
 もう私のレビューが届く範囲を超えてるよ、えうっ、えうっ。(オランジーナ飲みながら泣いてる)
 ちなみに前の連載の時に問題だった連載ならではの苦しさ、今回の連載ではしっかり解消されてます。なるほどなあ。工夫がすごく成功してる。
 ほんと、前号と今号で私はこの著者の手のひらで踊らされた感がすごく大きい。まさしく演出の大勝利だよね。これ。
 つまり、私の範疇に余る作品だった、と今思う。ATフィールドで拒絶したかと思ったらこれだもんなあ。私、レビューすること忘れて楽しんでました。
 ほんと、恐れいりました。

エピソード・ゼロ 波野發作

 楽しいよねえ、こういうスペオペ。遠慮のいらない感じが良い。いつかこういうの、のびのびと書きたいなと思ってしまう。自分のやってることの小ささを感じちゃったのです。ああ、昔はこういう風呂敷でかい大きい話書こうとしてたんだけどなあ……。
 読みながら、楽しんで書いてて、読む側も楽しく読めるように感じる、一番いいバランスだと思う。どっちかが従属するんじゃなくて。こういう関係ってセルフパブリッシングとして一番だと思うのね。そういうところも幸せな作品だと思う。
 実は私、こういう異星人ものSFって、ホントはあんま好きじゃないのね。正直。ところがこの作品はその壁をイマジネーションの豊かさでばっつり突破して、楽しく、異星人を愛おしく思えちゃうほどなのね。この異星人がなんとも素敵。
 そういう意味で、ジャンルとかカテゴリってのを意識させすぎるのはデメリットもあるなあと思う。そのジャンルというエコシステムの中で勝利するってのも戦略だけど、エコシステム無視して浸透しちゃうのも戦略だし。

こんにちは赤ちゃん かわせひろし

 うむむ、掌編って難しいよね。筆致はすごく良く書き慣れた感じで、舞台装置もよくできてるし、面白い。
 でもなおそこで規範批評なんでほんとうはやっちゃいけないんだけど、この作品、物語装置としてよく出来ているので、視点の書き分けをもっと厳密にすることですごく狙いがシャープになるんじゃないかなと思った。さらに三人称で書いてるけど、これ、一人称でどっぷりのめり込んで書いたら、さらに効果出るような気が。まあ、そういう欲を出したくなるところまで書き込んであるので十分成功作なんだけども。
 この作品でSFの方程式ものっぽくいろんなアイディアを出し合って一緒にお酒飲める感じ。こういうのもこういう作品の楽しみ。そこでこういうSF掌編って、いいよね。とくにこの著者のはもっと読みたくなる。

どんな情報も鵜呑みにしないこと 鷹野凌

 情報について、たしかにそうだよね、っていう話。そういやふと思ったんだけど、いまの情報社会って、ある意味『万人の万人に対する闘争』になってるんだよね。そして経済は強欲資本主義と無責任社会主義だから、あれ、結局現代って形を変えた『近代』じゃないかな、と思えてくるのです。
 そして前回の独立作家連盟のセミナーで福井健策先生のすさまじいプロの技の『煽り』を思い出してしまった。こええええ。
 まず情報社会ってのは、とにかく他人任せじゃダメなんだよね。信じただけだから! 騙されただけだから! は、もう今の時代、通用しないもんね。
 セルフパブリッシングの作家としても、そういう峻別する力が必要だよね。そういうところから支持されてくのも戦略だと思うし。

Gold 捧げ物集 青海玻洞瑠鯉

 久しぶりの風味。でもブランクの間にいろいろと身につけたんだなあと思う。すごくのびのびと書いてるなーと思った。
 前はどっか緊迫・切迫したものがあってそれも良かったけど、今回はさらに余裕のある中で、書く力の加減、、強弱を楽しませてくれてる。大きくなって帰ってきた感じ。
 そして何より、書くことの嬉しさがあるような気がする。それって読み手にいい意味で伝わってきて楽しいのね。というかそれがセルフパブリッシング、インディーズ作家の作品読む楽しみでもあるよね。

珈琲

 いい意味での中間小説。純文学とは違う風味で私はこういうのも好き。世の中ってどんどんファストフードみたいに何でも急かすからねえ。でも、こういう先を急がない作品もほしい時が確実にある。そういうのを本当の贅沢っていうんだと思う。
 セルフパブリッシングってのは、そういう意味で、手軽に始められて奥が深く、また贅沢に楽しめるもんだと思う。

もう一つのアスタリスク 米田淳一

 ごめん。しょっぱなから謝る。私の作品。しかもなんと「鉄研でいず」の3期オープニング。もうこの場違いさで、すでに申し訳ないというかなんかだけど。
 でも、書きたかったことは、作中の「総裁」と呼ばれる高校生の女の子の言葉に凝縮してます。

 これから再び、この世を、幸せな言葉で満たそうではないか。
 またやり直せばいい。何度でも、また何度でも。

 ほかにも精一杯詰め込んであります。あと何回ここに載れるかわかんないので、精一杯です。
 で、今回、これを載せるにあたって、正直、すごくしんどかった……私のいろんな甘さを痛感しました。ほんと、編集さんのおかげでなんとか、暗黒面に堕ちずに載ることができました。
 載ったこの作品の出来の責任は全て私にあります。

 でも、書き急ぎすぎたのは事実かな。反省。しっかり速度制御します。

夏のかけら 幸田玲

 最終回。ようやくこの作品の「色彩」が見えたというか。言葉の「悲しみ」がようやくドラマの「悲痛」になった。ここに辿りつけた作者の努力に敬礼。
 途中はほんと、どうレビューしようかと悩んだりしたけど、ちゃんとまとまってモチーフに立ち帰れたように見た。うだるような夏の空気の中にようやく鮮やかな悲しみが一つ光ったというか。
 いろいろもっと欲がほしくなるところもなくはないけど、でもこれで一区切り。次回作では辿り着いたこの一つの光をもっとバンバン出してほしい。連載としての構成上、まだまだそれを入れられるところはあったと思う。
 でも、ここまでお疲れ様でした。第1回と最終回の間でかなり変われたと思う。そういう書き手の姿を見るのもこういう舞台の楽しみ。

表紙

 いい表紙。というか、男。いいねえ。私なんかは女キャラばっかり好きなんだけど(すけべともいう)、それでもこのキャラクターはいい。
 なるほど、解説のとおりの雰囲気が出てる。うん、私も初めて書いた物語はね……。でも、その時の荒っぽさとエネルギーってのは、ただ抑えこんで否定しちゃいけないと思う。思春期に書く物語ってだいたいそうなんだし。でもその力が大人に成熟していく中で、書いたり描いたりする力の源泉、血になるんだから。
 人に見せなくても、自分の中では大事にすべきものだと思う。結局は原点だから。


全体として

 レギュレーションの変更期・転換期ということで、まだその効果がバッチリ出てる、とは言えないまでも、「予感」を感じさせてくれる号になったと思う。故に、これに加えてさきの01月号と来るべき03月号の3号を並べて比較するのが一番楽しい読み方だと思う。01月号を買った人はこの02月号、絶対にパスしないほうがいい。絶対に。

 そして、四季報書こうかなと思って見直すと、これまでの群雛が、いろんな人の創意と努力で支えられてきたことを思う。まさに奇跡的なことを、毎回やってきたんだなと。
 とくに人の起こせる奇跡はすでにいくつも起こしてきた。それでも現実ってのは怖いもんで、いろんな限界に直面してきた。けっこう途中で形を変え、レギュレーションも変わっている。そのたびに創意に創意で応えるべくやってきた。それでここまで続いてきたのがほんと、奇跡だと思う。
 常にいろんな不安に出会い、いろんな対策をし、それに応える書き手と描き手がいた。その姿がまた、群雛は毎号、魅力的なんだと思う。変化していく姿もまた見てて面白い。

 今後も、探りながら、さらなる奇跡を作っていこうと思う。私も傍観者ではいられない。

 ただ、別冊もまとめて買うのがおすすめなんだな、これが。

別冊SF群雛


 というわけで2周年別冊も来たー。
 まず巻頭鼎談からすでに面白い。こちらも藤井太洋さん。ううむ、書く上での視点が私と全く違う考え方からの話なのでむしろ参考になる。まあ、でも私は儲からない・賞貰えない・売れないの三拍子なので、仕方ないんだけどね。ほんと、眩しいよ。

 でも、ほんと、みんなのびのび書いてるよなあ。それもあの去年の1周年記念号よりさらに。こうやって記念号がますます面白くなっていくのを見ても、群雛の大きな方向は間違ってないなと確信するところだったり。これがあるのも群雛本誌の頑張り合ってこそだと思う。

 クェイル賞…じつは私、しんどかった12月に締切だったので作品用意しながら投稿できなかったんですよ……ぐぬぬ。まあ、私の幻の作品はあんまり面白くなかったかもなんだけど、今思えば挑戦したかったなあ。楽しそうだなあ…。ぐぬぬ。

 まず群雛の任務は独立作家連盟が楽しく、またインディーズ作家というものが楽しいものであることを発信していくことにあるわけで、こうなることは非常に慶賀慶賀奉祝奉祝なのです。
 各作品、各書き手の本領が存分に発揮されてるので、すごくお買い得感が大きい号です。(ちなみに私も書いてます……こっそり)。

「ちょっと上まで」神楽坂らせん

 ほんと、ああ、まさにらせんさんらしいなあ、という風味絶佳なSF。実にいいねえ。すごくいい。ほんと、こういう作品だとらせんさんの努力が存分に実を結ぶ感じ。というか、私がデビューした頃のSFとは完全に世代が違うんだなーとおもう伸びやかさが素敵。実は私、小川一水さんとかとほぼ同期なんですよ。結局小川さんと乙一さんが生き残ったほかは…、なんてことを思い出しちゃってしんみりするけど、でもあのころみんなが目指したSF本来の楽しさにさらに今らしい風味を加えていった感じ。それなのに今に迎合する「雑味」がないのがまたいい。
 スタジオジブリがもしあと5年続いてって、こんな感じのSF作ってくんないかなと思ってしまう。というからせんさん原作でどっかがアニメ化してくれんだろうか。

「プロローグ」竹島八百富

 この人も本領発揮だよね。このネタは普通は有名なネタの「その後」のほうをみんなSFにするんだけど、「その前」の方を作っていくのは少数派じゃないかな。で、その少数派を選んだところが竹島さんらしいというか。でしかもすごくスペオペとしての楽しさを出してるのね。それに隠し味で少し切なさ、悲しさが入ってるのもまた竹島さんの個性、感性があってすごく嬉しい。
 思えばここまで書けば、「その後」のほうは読者が自動的に推論して考えられちゃうのね。というか読者としては推論して考えるのがすごく楽しい。そう考えると、「その前」を書いた時点で「その後」を思いきって省略したんだなと思った。その判断は間違いなくSFセンスとしてずば抜けてる。たぶんそういう判断してるだろうな、と思ってる。普通のSF書きだとその省略を意識できたとしても、つい余計な欲を出して省略に失敗するとこだもん。
 ホラーとSFは書き手としては表裏一体といつも思ってるけど、ほんと、この人の卓越したホラーセンスは今回は存分にSFセンスに生かされてると思う。すばらしい。

「白く、白く、儚き者」淡波亮作

 この人も本領発揮だよね。やっぱりホラーとSFの親和性をうまく使っている。しかもこの人の書く作品世界って、すごく光り輝いた、それでいて「どことなく生々しい未来」っぽいイメージがあるのね。SFというとブレードランナー的な薄暗がりにスチームが吹きだす配管の迷路、みたいなアートイメージが浮かぶ作品がずっとあった。その前には2001年宇宙の旅的な「超現実」なものすごく清潔だけど人間味を許さない感じのアートイメージ。でも淡波さんのはそういった系譜を踏まえつつ、その先の現代にふさわしい、「この現代から見た未来」が見える気がする。それは言葉で書いてるとかそういうのじゃなくて、ちゃんと雰囲気として出てる。それこそ文学の一つの成功だよね。言葉として書かれた以上のイメージを言葉の演出で思い起こさせるってのは文学の一つの成功だと私は思ってる。
 そこでインタビューを見て納得。なるほどねえ。そういう演出を意識してるだろうな、この著者は。さすがである。
 タイトルも昔の秀作翻訳SF風味。わかってるよねえ。

 あと、クェイル賞。結果と順位についてはお読みいただくとして。
 かわせさんのは超王道SFてんこもりの作品でよい。この字数でここまでの密度でやるのは素晴らしい。要素をバランスさせた力量がさすが。
 淡波さんのはかわせさんのが王道SFとしたら新王道SFじゃないかな。すごくテーマ的に前衛的でいい。
 らせんさんのもらせんさんらしい。なるほど、ドラえもんのあの道具をらせんさん的に解釈するとそうなるよね。題材選びのらせんさんらしい「やわらかい鋭さ」が生かされてる。秀逸。
 で、なんと鷹野さん(群雛編集長・独立作家連盟理事長)も登場。ううむ、世代的に私と近いのですごくシンクロするなあ。私の世代のSFのテイストって言うとこれだったよね。鷹野さんの作品読むのは初めてなので、なるほどなーと思った。
 よたかさんは独特のポリティカルでブラックなSF。これも持ち味、というか群雛本誌初登場時に「うぬ?」と思って注目してたんだけど、この人の持ち味はこれなのね。独特の骨太さと生々しさが面白い。
 夕凪なくもさんは、実は正直この人SF苦手かもなあ、とずっと思ってたけど、さにあらず! ちゃんと得意なSFのスタイルがあったんだなと思って、すごく感心しながら読んだ。この人、サイエンスとしてのSFよりも文学、それも記号論とか人文科学的なSFが得意なんだな、と。なるほどたしかにこれまでの作品を考えてみるとそういうセンスがあったことがわかるので、まさにその総力で勝負に来たというか。私的に好み。
 加藤圭一郎さんはSFホラーの中でもホラーにバリバリによった方向でオカルトを混ぜて攻めてくる。独特の社会派的な視点もあって興味深く、SFからホラーへブームが移動していった頃の雰囲気の継承だと思う。この人も持ち味が出てるんじゃないかな。

 で、講評書いた原田さんが一番書きたかっただろうなと思いつつ、よたかさんのは絵柄的には藤子F先生でもA先生っぽい内容なんだから、全体として藤子先生の全盛期の香りだよねとか、なくもさんについての意見はまさに同意見というか。加藤さんについても私も同意見。この人のセンスがあるからこういう素晴らしいコンペが成立したんだと思う。
 ほんと、なるほどねえ、と思いつつ、みんなのびのびと勝負に出てるので、読み得的なところがすごく大きい。すごくいい企画でしたね。読んでて文句無しに楽しかった。おつかれさま&ごちそうさまでした。

表紙

 ソメイヨシノさんもまたすごいよねえ。往年の生頼範義さん風味、って注文でほんとにそう描いちゃうんだもんねえ。どんだけこの人には引き出しがあるんだろう。すげえええ。


 あ、あと、私のも載ってます。「鰹節」って作品。猫SFです。ごめんよう、千秋(うちの飼い猫)。
 実はこのあと、とある事情で千秋は鰹節をすこし控えることになってしまいました…。ほんとは大活躍してくれたので「ご苦労様」とここで出演ギャラで鰹節あげたいんだけどねえ。
 千秋、一緒にダイエットしよう。うん。


で、2月は結局どうよ?

 いやね、私もほんと、いろんなことでジェットコースターでしんどかった。見てる人で心配する人もいたと思う。スマヌ。
 一時はこのレビューも公開しないでおこうかと思うほど自信喪失したりしたんだけどね、やっぱり目が離せないの。この群雛に集まった人たちから。どうしても。で、応援せざるを得ないというか。それも「私はもうどうなってもいいから」的なところまで。

 大げさっちゃそうなんだけど、もともと小説とかの技術を育成していくシステムが少ない気がするのね。作家先生の小説教室はあるけど、あとは懸賞小説を軸に少しあるぐらいかなと。

 でも実際は「小説家になろう」とかの投稿サイトがいろいろあって、エコシステムを作ってるし、それはそれで満足できる段階もあると思う。

 それに、もうここでまさかのちゃぶ台返しだけど、別に物語なんかうまくなくていいし、良い物語なんか世の中になくていい、っていうのもあるのね。物語なんか人間良くするわけ無いから。ほんと、文学部唯野教授(筒井康隆)にもあったとおり、文芸作家なんてとんでもないのが多かったって話だし。堕落してみたり駆け落ちしてみたり入水してみたり(ヒドイっ)するわけだからねえ。(駆け落ちは私もしちゃったけど)

 物語は豊かな心を育む、なんてのでうちもチャイクロとか読んでトラウマになったりしたんだけど、まあ豊かな心が役に立つかというと、役に立たないんだよね。就活、就職の役に立たないし、婚活、結婚の役にもたたないわけで。

 じゃ、なんで物語書くの? というと、ほんと、「あれっ」、って、素に帰りそうになる。
 さらになんで苦しんでまで書くの? というと、あれっ、ってなりそうになる。

 今回群雛のレギュレーションが変わった。少し厳しくなった。
 書き手は繊細な人多いから、それでやんなっちゃうかなーとも思った。私も実際今回のやってて、古い編集作業の時のトラウマがチクチクしたし。いや、編集さんが悪いんじゃ、ぜんぜんないけどね。私があまりにも未熟なだけで。

 でもほんと、それでも書きたかった。

 だって、簡単に手に入るものは、簡単に失っちゃうものと同義なんだもん。

 物事ってのは、ちょい難易度ないと、達成感がない。

 そのことを、私は今回の2月号に寄稿して、思い出したのね。セルパブって楽にやろうと思えばとことん妥協できちゃう。ほぼだれもそれをリジェクトしない。

 でも、それだけじゃ、達成感は、私としては、あんまなくなってる。

 それより、自分で知恵絞って、編集さんと考えて、それで生み出すものってのは、やっぱり嬉しいものです。

 とくにいい本作ろうと方向を一緒にしてたら、ほんとしんどいけど、うまくいけば楽しいわけですよ。

 すごく昔、とある小説教室で、私の書くことに「飽きるまでやったらいいよ」と捨て台詞くれた人がいた。

 今、私は言える。

「ごめん、今、群雛とかのおかげで、飽きずにまだ書いてて、未だにすごく楽しいです」

 もちろん、ヘリベマルヲさんの委員会方式もあるし、群雛だけが解ではない。(そういやヘリベさん群雛と別路線だったんだねえ。まあ、いいもん作ろう、そのためにいろいろ工夫しようってのは広く見ればおんなじだと思うけど)

 とはいえ、こうやっていろんな物語書いて楽しい人と知りあえて、いいもん書こうってので嬉し涙悔し涙流せるってのは、ほんと、素敵なことだと思う。

 ほんと、スペースオペラの中にいるみたいな楽しさなのね。もちろんしんどい時もあるけど、おかげで退屈とは無縁に過ごせてるし。(ちょいこれで身体が元気だったらもっといいんだけどねえ)

 で、この楽しさ、分かる人稀かな、と思ってた。この2月だとほとんどおなじみさんだけだし、数も少ないし。

 でも次の3月号、ちゃんと他のみんなも挑戦に来てるのね。募集状況見てると。(いや見ちゃうんですよ)

 それが嬉しいのね。

 こういう場があるって、ほんと、さらに稀有だよ。

 多分10年後に私がまだいたら、ここでこうしてたこと、私は自慢してると思う。
 ヘリベさんの委員会とか、群雛とかに参加できたことを。

 ほんと、感謝してます。マジで。

 それに、役に立たないことを本気でやるって、最高の贅沢なんだよね。
 それができるのって、本当に幸せだと思う。

 役に立つことだけ本気でやるのは、平凡だし当たり前のことだし。

 いろいろ私もレビュー書くけど、ほんと、私がレビュー書く人は、みんな十分非凡だと思う。
 だから、もっとそれを自覚して、さらに楽しんでほしいなといつも思ってる。

 それが私も楽しいからね。まだもうちょっとやると思う。

 というわけで、03月号、買ってあります。うふふふふふ。読むの楽しみなのですが、今宵はこれにて。

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