2016年2月11日木曜日

とある展示に向けて・或る建物を作る(2)しばらく「絵に描いた餅の作業」


材料を発注したら、最速で届くのが2月17日。

これで一週間近く、こんな図面と格闘になりそうです。


Shadeで3DCGでモックアップを作っていく。

ほんと、絵に描いた餅をいじくるのは、頭に負担がかかる割には喜びが乏しいなと。

CGってのはそういうところがしんどいかも。

そして近くの建物から見た写真と比較して確認。

ほんとはパターンの数とか全部数えてやんなくちゃいけないんだけど、

どうにもモチベーションが上がらず。

現物見ながら検討したくても現物無いからねえ。

できればShadeから直接印刷ができればナオヨシなんだけど……。








エントランス部。

左側はコジェネレーションシステムのある建物らしい。

エントランス部、本物はこってるけど、再現しても展示の時に見てもらえるかなあ。


高層ビルらしい煽りの構図。




遠くから見るとこんな感じなんだよね。

本物は周りに建物がいっぱいあるから、もっとごちゃっとして見えるんだけど。


ゲーム「A列車で行こう」を思い出した。


ううむ、どうにもしょっぱなから煮詰まり感がすごい。

困ったもんである。うむ。



とある展示に向けて。


 まずはじめに。

 ちょっと体調が悪い状態が続いてます。ご心配おかけしてもナニなんですが、ちょっと予定とかいろいろ変更になるかもしれないです。

 とはいえ、このプロジェクトだけはプライオリティを上げてやりたいなと。

 それが、このプロジェクト。

 鉄道模型展示なんですけどね。

 ちょっと規模大きくしてやることになりました。


 ほんとは小説とかで、もっといろんなことやりたかったんだけど、残念ながらそうも行かないようで。

 力不足と時間不足です。仕方ない。否応なしにそのことに気付かされてしまったというか。

 だから、プロジェクトを絞ってやることにしました。

 ちょっと悔しいけど、現実ってそういうもんだと。


 で、それはこれ。


 3250*1500のスペースを借りて、模型展示する、ということで、まずスペースにどうやって線路を敷くかの計画をJW-cadで計画を立てた。

 思ったよりど広くなく、かといって狭くもないので、工夫次第かなと。

 ただ、これは第1案なので、まだダメ。

 で、次がこれ。

少し曲線を整えました。KATOユニトラックでやってるんですが、端数がやっぱり発生。

 それをどう整えるのかも検討。

で、ただの平面だとあまりにも貧相なので、6センチモジュールとその他色々でちょっと飾ることに。

 この図面だと6センチモジュールは9個。現状では4個あるので、5個追加かな。

 ダミーの留置線を置いてスペースを間抜けにしないようにするとか。


 コンセプトとしては、公民館とかで展示運転するときに、できるだけ楽だけど見た人が喜んでもらえる展示のアイディア満載の展示、という感じ。

 そりゃ、ベース作って嵩上げして谷掘ったダイナミックな風景の展示のほうが喜んでもらえる。それは間違いない。

 でも、みんながそれをできるわけじゃない。いろんな事情でそれが出来ない人も多いと思う。

 時間、お金、場所の問題は大きすぎるし。

 でも、かといって、模型を自分で眺めてるだけじゃもったいない。

 せっかくだから人に見てもらって、一緒に楽しもうよと。

 そういう時に役立つアイディアを、という感じ。



 というコンセプト。だから基本お座敷運転に足していく感じ。

 高低差とかは線路の勾配はなし。あると車両に負担かかっちゃうからね。

 地形の高低差も、可能なかぎり諦める。まあ、スタイロをドーンと敷いちゃって高低差作る手もあるんだけどね、そうもいきそうにない。

 それでも運転を見て楽しめるように工夫したい。

 で、毎年やってるこれ。


 これを発展させた感じにできないかなという感じ。

で、こんな平面配置に。

 これはアイディアをInkscapeでメモってるんだけど、

 ただペタ―っとした展示ではやはり面白く無い。

 ちょっと派手目の何かも欲しい。

 そこで、こんなの考えた。


 大きめの建物を置いてみようと。

 このゴチャッとした図はGoogle Mapから割り出した図面なんだけど、

 そのまま1/150にするわけには例によって行かない。大きすぎる。

 というわけで、

 いつものようにShadeで3Dモックアップを。




 3Dモックアップ、またの名を「絵に描いた餅」。

 でも、これで気付いたのが、普通に作ると、ターゲットにしてる建物よりかなり寸胴になるぞと。

 というわけでバランスを調整することに。




 こんな感じ。

 で、さらに図面でも検討。


 線路を置くとね、猫は「ここ私のおうちー」ってしたがるのね。

 ちなみにしばらくここを猫が2匹で奪い合ってました。おかげで検討が進まん。



 でも、CADは流石に正確で、やっぱり建物は縮小必須。

 しかし! そうなると、全体の縮尺をいじるとしょんぼりなので、

 同じ縮尺で、要素を減らすディフォルメをするしかない。

 NゲージとBトレインショーティーみたいに、ショーティー化しなくちゃいけない。


 まいったなあ。とはいってもやるしかないんですが。

 ホントは実物のこのブロック、雑居ビルとかもあって、それが縮小するときにしんどそうなんですが、

 やるしかないのです。絵に描いた餅で終わらせるわけには行かないわけですから。



 というわけで材料発注とともに、図面の作成を進めていきます。

 あと、現地にロケハンにも行っておいたほうが良さそうです。


 行けるかなあ……。


2016年2月7日日曜日

ヘリベマルヲ「悪魔とドライヴ」を読んで。

悪魔とドライヴ | 公式サイト


ヘリベマルヲさんは、群雛2014年05月号「砒素と携帯、ロックンロール」で拝見して以来で、その後「KISSの法則」(同07月号)、「ガラスの泡」(同10月号)、「悪魔とドライヴ ビッチェズ・ブリュー」(同12月号)、「フーチー・クーチー・マン」(同15年04月号)と群雛経由で拝見してきた作家。

 なかでも「悪魔とドライヴ ビッチェズ・ブリュー」を拝見した時、ああ、これは作家として一つの到達点、とはいっても作家の一生としては経由点ではあるのだけど、まずその大事な頂に達するための大事なモチーフにたどり着いたな、という感じがあって、ここからどう書き進むか、と期待していた。

 でも、15年は04月号以来群雛ではなかなか拝見できず、正直、うーむ、と思っていた。

 でもそれが今回「悪魔とドライヴ」という本としてその結論を出したという感じで、その途中からちょっと声をかけてもらって、プレビューリリース版から最終リリース版まで拝見させていただきました。




 で、学園モノっぽいけど、独特の個性が出てたのが「ビッチェズ・ブリュー」を読んだ時の感じだった。あのときは、ただの学校の話じゃないだろうな、とまず思ってた。あのころの群雛は学校の話が多かったけど、違う臭がしてよかったのね。

 でも、ほんと、そこから「しっかりよく掘り下げたなあ」という感想。

 あのとき期待して、ほんとうによかったなあ、と思う出来になっている。

 ちなみにビッチェズ・ブリューってのは調べるとどうやってもビッチェズ・ブリューしか出てこなかったりするけど、実はスラングもスラング、訳すと「淫売の醸造した媚薬」なんてもんだったりするらしい。もともとはジャズ・トランペットのマイルス・デイビスの1970年のベストセラーアルバムの1曲めとのこと。うん、ここまでで音楽疎い私にはお腹いっぱい、と言いつつも、読んでみると、なるほどなあ、言い得て妙だなと思うタイトルだったのが「ビッチェズ・ブリュー」だったのね。

 たしかに初めて見た時、そう言うだけの独特の色気があった。で、読みながら「ああ、これ、ヤバイなあ……」と思ってた。正直。だって県立高校の女性生徒と国語の先生で、しかも結構匂い、それも夏で高校生の体臭がするなんて描写がすでにしっかり生臭いわけですよ。しかもその国語の教師はウイスキーとジャズとタバコと文庫本が好きと来てる。

 ああああ、これは危ないなあ。もう私なんか読みながら「教育委員会は問題の教諭を懲戒解雇とするとともに事実関係を……」なんてNHK地方局ニュースのアナウンスが予感として聞こえてしまうわけですよ(ヒドイっ)。危ないなんてもんじゃない。もちろん往年の「高校教師」なんかは生物の先生だったけど(しかも実際母校の先生で教え子と結婚した人がいたりする)、でも国語でそれかー、と色んな意味で危険な香り、だったわけですよ。

 でも、どこかこういう舞台装置を作ったところで、実際それでどういう劇が描かれるかというのはほんと、力量次第。とはいえ群雛で拝見した作品で問題意識というか書くための燃料はあると思ってたし、筆力も十分あるので、はたしてそれが存分に発揮できるか、とワクワクしながら読んだのがこの「悪魔とドライブ」の本編だった。




 で、読んでみると、ともかくどっしりと、それでいながら現代の文学シーンが、リスカしてるよって自撮りでブログ書いて自己顕示しちゃう女の子みたいのからツイッターだのなんだのでざわめいてるだけの連中、さらには総合出版社の編集者までがたった250円の「Q」という謎の著者の電子書籍でつながって描き出される縦軸に、横軸に生々しいエピソードがどんどん織り込まれていく物語装置が狙いどおりに効いているのね。

 リアリティとかリアルとか、そういう次元ではなく、もうしっかりと世界が生きてる感じにできてるので、はじめ感じた危なっかしさがこの世界の中では、こういう文芸作品には必須のスリルに昇華されているのがすごく楽しい。

 私の読書量が圧倒的に足りないので比喩がワンパターンで申し訳ないけど、ウンベルト・エーコ「フーコーの振り子」と狙いが近いかもしれないなー、と思いつつ、とくに私には絶対書けない種類の作品なので、すごく興味深いし、面白い。

 電子書籍であることがすでにその物語装置としてすごく生きてるのがいいし、物語がどんどん結末に向けて走り出していく様子は特にこの本が電子書籍であるということと絶妙に内面が外面の相似、外面が内面の相似のような、思わず「うまいっ」、と言わざるをえないフラクタルみたいな仕掛けになってるのがいい。

(インタビュー見るとSFの文字が。うん、良いSFって昔、こういう要素あったけど、ほんと、あのころSFやらなかったからこれ書けたんだろうなと思う。SFで消耗しなくてよかったよ……この著者)


「フーコーの振り子」には「マル自」作家として自費出版作家が出てくるし、その自費出版作家をめぐってのいろんな「あちゃー」と思うエピソード、そして最後には猟奇的な結末まで待ってるという満艦飾だったけど、この「悪魔とドライヴ」は、エーコがもっと若いうちに電子書籍をめぐって、今あっちこっちでがたがたになってる物語の世界に出会っていたら、こう書くかもしれないな、と想像してしまうほどの満艦飾の書きっぷりだなと感じた。エーコは今84歳なので、タイムリープしないとこうは書けないと思う。正直、今のエーコがちょっと悔しがるんじゃないだろうかと思ったぐらいの書きぶりと思ってしまった。

 ほんと、読んで楽しかったけど、「フーコーの振り子」と同じで、何度読んでもああ、なるほどな、とまた思うところがあるのがいい。長さとしては比べると短いけど、でも読み応えはこれに直接記述されていなくても、読者は自然と符合しちゃうイメージで補完される感じで分厚くきている。

 読み終えて、「電子書籍界のサム・スペード。頑なに信じて勇敢に罪を犯せばいいんですよ!」という言葉が浮かんだ。

 本来の出版ってのはそこだよね。そういうところを狙い撃ちしてるのがすごく痛快だった。




 ちなみにこの「悪魔とドライヴ」の最後の仕上げ段階でFacebookでこの本の「製作委員会」なるコミュニティにお呼ばれしたんだけど、やってみてほんと、おおー、と思うことが多かった。(コミュ自身は群雛と独立して存在してるけど)

 私はほとんど何もせずにリリース前の原稿読ませてもらって、端っこの方で、ほー、面白いなーと思ってただけだけど、やり取りを垣間見てると、Facebookというツールにこういう活用法があるんだな、とすごく感心した。

 これは群雛のアプローチとまた別方向なので、どっちがいいとはいえない。どっちも一長一短なんだよね。でも、内容面について集団でちょっと考えたりして、それでいてそのうちの一つを著者がブレずに選んでいく様子とか見てると、本質的には群雛の編集作業と似ている気がする。それも多数決で決めてるわけじゃなくて、著者にそれぞれ参加しているメンバーがそれぞれの得意を持ち寄って提示して、著者を助けたり、逆に参加者が助けられたりしていくのがまた面白い。

 確かに編集という絶対的なものが必要な「雑誌」と、著者という絶対的なものを軸にした「本」だとアプローチは違うけど、現代ではどちらも当然ありうるものだと思う。

 集合知とまでは行かないかもしれないけど、ウェブ上でこういう作業を進めていくというのはすごく効率的で、しかも面白かった。作家として書いていくうえで、迷いそうなところを委員会のみんながうまくアシストするような。とはいえこれはアシスト側もされる側も力量がないと、すぐ迷路に入ってしまうので、うまくマッチングできてよかったと思う。




 前回から私は「インディーズ作家としての市民権獲得」とか吹いちゃってるんだけど、まさにこれもその一環だと思うのね。大きな資本はないけど、創意工夫さえあればすごく面白いものが作れて、それに携われるという。

 もちろんそれにはそれぞれがしっかりしてないと簡単にただの烏合の衆になり、現実の前に各個撃破されてしまうけど、でも今回の「悪魔とドライヴ」の委員会方式に集まった人々はそれぞれにスキルフルだし、ポリシーも持ってる。だからこうやって発売されるとこまでこれたと思う。

 もちろんこれも大きな資本がやる気出してこれやったら、全部まるっとこの優位は持って行かれてしまうような予感はしている。資本って怖いからねえ……。出版社が最後まで手放さないのは金融機能だし。

 正直、私の方は自分で試行錯誤しながら、勝てないなーと思って、私の場合はそれがとうとう確信に変わった。どうやっても私は勝てない。時間がなさすぎる。

 でも、この試みは、着実に出版と物語の歴史に一つのページを作ったと思う。みんなすごいよ、ほんと。




 といいつつ、この縁も(私の場合は)群雛の創刊があってのことだし、これからも群雛を軸にした縁で、いろんな試みがなされていくと思う。

 というか、これこそ私が群雛に見た未来なんだよ。変わり続けるけどほんとうの意味で最先端、ってところ。

 群雛もレギュレーション変わって2号目があと1ヶ月ぐらいで出る。そっちにも期待してる。

 ほんと、群雛がこういうライバルではないけれど、違ったアプローチを生みながら、競うようにやっていってセルフパブリッシングってのがどんどん進化していくって……すごくいい時代になったなあと思う。



 読みながら、未来って、こういういい未来もあるんだなあ、と改めて思ったりしたわけです。


  悪魔とドライヴ | 公式サイト


2016年2月5日金曜日

鉄道模型のタノシミ・KATO旧製品のD51を楽しむ一つの方法。


久しぶりの模型工作。



今日。

猛者から包みが送られてきた。


中身はこんな。


あっ、これ!

ラッセルヘッド!

猛者のところで余剰になってたらしい。


さっそくうちのDE10に繋いでみる。

ううむ、良い。

なぜか撮影に使ったケータイが顔認識したのには笑った。



こんなもんかもしれぬ。(猛者・画)



でもほんとの目的はこれ。

貨車の台車を集電化改装してあるの。

なんでこんなものがいるのかというと。



高校生の頃に作ったD51 1119号機もどき。

こんなのがうちにあったのね。

近所の公園に保存されてる機関車D51 1119号機を再現しようとしたの。



旧製品のKATOの標準型D51を、

かまぼこドーム(戦時型なので曲線省略されちゃったのね)

船底テンダ(これも戦時型で材料節約でこうなっちゃった)

貨車みたいなテンダ台車(船底テンダにはこれがつく)

ギースル・エジェクタ(末期のD51の性能を向上させるためにつけた)

という、厚木市森の里の公園に保存されてる1119号機のスタイルに改造、

したはずなんだけど、走りがいまいちだったの。


まあ、SLは作り始めたらとんでもない「沼」なので、

たまたま縁のあった1119号機だけ作ろうとしたんだけど、

高校生の腕では早々うまく行かず。

でも、

かまぼこ―ドームはモールドを削ったりパテ盛りして作成。

船底テンダもモールドを削ったり持ったりして作成。

テンダ台車は余っていた貨車の台車を無理やり履かせた。

ギースル・エジェクタはプラシートで整形、

というもので、なんちゃって1119号機にしました。

でも、なんとか走ったのでよかった。



ところが、久々に出してみると、うまく走らない。

でもそれは、

振り替えた台車によるテンダ支持がうまく行かなくて、

スペーサーをかませてたんだけど、

それが昔はなんとボール紙……。

それが経年劣化してダメになって、

テンダの姿勢が不安定になり、 

それで引っ張られてエンジン部の姿勢が不安定。

それによって集電が不安定になり、停車してしまう。

というわけで、

電材用に買ってたプラネジのワッシャをはめたら、一挙によくなりました。


でも、猛者と話してたら、

テンダ側での集電を復活させようと。


たしかに、D51のノーマルのテンダ台車は集電するようになってる。

で、猛者は貨車みたいな船底テンダ用台車で集電するのを作る、と。


で、それを作ってくれて、送ってくれたわけですよ。



それがこれ。

よくできてるなあ。丁寧な加工である。





で、当然、よく走るわけですよ。

だって、走行装置は殆どいじってないんだもん。

台車を交換しただけなので、

動力性能はバッチリです。ありがたい。

集電性能も上がってさらに善き哉。



ついつい並べてしまうわけですよ。




うちにあるNゲージSL。3両しかない。

写真右から、D51 1119号機、C57 1号機、そして謎のスチームトラム・ミルヒ号。

D51とC57は旧製品です。新製品なんかとても買えないです……。びんぼうなので。



ちょいと1位側テンダ台車がういてたので、この後またスペーサーで直しました。



1119号機の遍歴。

最後の追分にいたのね。




で、昔撮影したテンダ台車。

少し違うけど、まあこんな感じ。

足元を引き締めるために、なにか追加しよう。


で、当時撮った写真を見てると……「!!!!」



デフレクターっていうものの形が違う。

こんなスマートなやつじゃなくて、もっと切り詰めたもの。

北海道D51の特徴らしい。


じゃ、せっかくだから、切り詰めてみますか。



というわけでアイキャッチ。

猛者ガルパン大好きなので4号戦車も送られてきました。早速組んでみました。





で、デフレクターの切り詰め開始。


きゃー。



ざっくり。






ザクザク削っていきます。



ちなみにテンダのキャブと接するところも曲線がないのね、さすが戦時型。



で、ここまで削りました。

いろいろ細かいところはさらに整形していきます。





おおー。



この小ぶりなデフレクターの感じが北海道っぽい。

すると、猛者から連絡。

「前からもイケますよ」


なるほど、デフレクターが小さくなると、ボイラー前面がよく見えてまた顔つきが違うよね。

(細部はもっとあとで手を入れて整えます)


ほんと、D51でも1119号機はあっちゃこっちゃ奇形なのです。


でも、猛者は「ううむ、これを見ると標準型は物足りん」


ううむ、そういう見方もあるのか……。



でも、気付いたことがありました。



まず、こういう奇形機を作ると、同じSLでも他の人とかぶらなくていいよね。

あと、こういう奇形機作るとき、高い細密な新製品でやるのはしんどいよね。



もちろん、旧製品はモーターがでっかくてキャブが埋まってるし、

機関車とテンダの間もでかいけど、

こういう奇形機を作って楽しむには、いいかもしれぬ。


だいたい、旧製品はねえ、と思ってても、

こうやって手を入れると、どんどん愛着が湧いてくるし。


それに、お金もメチャメチャはかからない。

旧製品のD51、投げ売りになってることあるし。



こういう楽しみもできるのが、鉄道模型の面白いところかもしれないよね。


そういや拙著「鉄研でいず」ですこしこの1119号機再現のネタやったのである。



うむ、やはり模型は楽しいのである。




2016年2月1日月曜日

群雛について、1ヶ月しんどかった結果。



実はね。




今、ようやく1ヶ月しんどかったのが終わった感じ。




すごくしんどかった。




群雛のこと。




いろいろあったけど、今、いろんなことがはっきりして、楽になった。




要するに、呪縛だったんだよね。

私もそれにやられてたし、群雛に関わる人みんながそれにかかってたと思う。




でも、その解決ってのはあったの。




まず、売れなきゃいけないってのは、すごくしんどい呪縛でね。

実は私も商業ベースでやってた頃に、これがすごくしんどかった。




数字見ちゃうと、もうその「売れなきゃ」の呪縛がバッチリハマる。

で、それ考えると、誰も手も足も出ない。特に書いてるときは。

売る時も、じつはセールスの数字ってのはすごく怖いし、ましてそれを守りに入ったら、ますますダメになる。




でもこれ、よく考えると、アンケート主義に陥って悲惨になったメジャーのマンガ誌と同じなのね。

数が一番なら、なにも考えることはないわけで。

売れれば正義だったら、売れない方はどうやってもチャンスはないわけだし。




だけど、売れるってのは条件じゃないのね。売れなきゃ書かないなんてのは、書き手にとって一番ダメなパターンだし。

売れるかどうかわからんけど面白いの書きたい、ってのが基本だし、その結果として売れるかも、って話だし。




で、群雛って、ほんとに売れなきゃダメなのか、っていう疑問があって。






売れなきゃダメ?


ほんとに売れなきゃダメ?





それは目的によるんだよね。




群雛で、書くあなたはどうなりたいのか。




同人みたいに楽しく書いて、楽しく作って、結果売れなくていいって考えるか。

苦しい思いしてがんばるとしたら、何を目標に頑張るのか。

メジャーデビューを目指す?




現実には、群雛から直接メジャーデビューなんて無理。

そういうルートだったら、他にすでにある。特にpixivとか投稿サイトから一本釣りされてる例は今多いし。

群雛も独立作家連盟も、そんなことぜんぜん担保してない。少なくともその最短ルートじゃない。




じゃあ、何のために群雛に書くの?

メジャーデビューするわけでもない。同人作家でいるわけでもない。

すごく中途半端だよね。




でも、実はそれでいいの。

そういう中途半端な人が、実はいいの。

だって、まだ何者でもないから。

メジャー作家でもないし、同人作家でいるわけでもない。




じゃあ、何者なのか。

それは、実はみんな、見慣れてるというか、サラッと見て気にしなかったと思うここにあるの。






NPO法人日本独立作家同盟: 法人概要

http://www.allianceindependentauthors.jp/p/about.html

引用ここから>>
NPO法人日本独立作家同盟とは?



インディーズ作家よ、集え!

当法人は、文筆や漫画などの作品を、自らの力で電子書籍などのパッケージにして世に送り出している、インディーズ作家の活動を応援する団体です。伝統的な出版手法である、出版社から取次を経て書店に書籍を並べる商業出版「以外」の手段、すなわち、セルフパブリッシング(自己出版)によって自らの作品を世に送り出す・送り出そうとしている方々をサポート対象としています。

<<引用ここまで




要するに、インディーズ作家なのね。我々はすでに。




で、そんなもん、まだ「市民権」を得てない。
世の中的にはインディーズ作家?なにそれ、なわけ。




でも、現状を考えてみると、

メジャー作家も専業で稼げてる人はごく僅か。

芥川賞ですらも、「花火」の又吉さんのあとに誰が受賞したのか、話題にもならないよね。




で、同人で儲けてる作家がいるかもしれないけど、それはあくまで一部だよね。




そこで、一つわかるのが、作家っていう存在は、もうメジャーな商業出版でもしんどいし、同人でもうまくいってない。




そこでインディーズ作家、っていう存在が、もしかするとそこで「市民権」を得られるかもしれないのね。

それが、メジャーのやり方でもなく、同人のやり方でもなく「成功」できれば、そりゃ「市民権」得られると思うの。

それって、すごくない?

なかったものを、作って、しかも市民権まで持っちゃうわけだから。




「成功」が「売れること」だけだとしたら、そりゃメジャーのやり方しかないよね。メジャーは資本持ってるから宣伝費もドバっと出せる。それに簡単に対抗できるわけがない。




でも、「文学的成功」ってのは、「売れること」だけじゃないのね。

じゃあ、文学的成功って何か。





こんなのがあった。





文学に於いての成功、とは何でしょうか?そのようなものが有... - Yahoo!知恵袋

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10148058960




引用ここから>>
ベストアンサーに選ばれた回答



カテゴリマスター

fukuouhyakuwaさん

2015/7/2010:58:55

小説家として食っていける人間であるというのが成功でしょう。

いくら優れた作品を書いたとしても、その道で食っていけない人間は成功者にはなりえない。




路傍の石を読んで、生きることを諦めなかった方がいます。また、熱狂的なファンを数多く持つ作家もである。

これもまた成功でしょう。文学と呼ばれるものは、いかに人の心を動かすか?であると考えれば。




実験的な作品を書き続け、ある作品において、自らの書きたかったものが見つかった人間もまた成功者でしょう。

実験とは結果が伴ってはじめて成功と呼ばれますので。




著名な賞を受賞した、これもまた成功でしょう。主観的に傑作だと思っていても、客観的評価が伴わなければ、それは自慰行為に過ぎない。




文学における成功は、いくつもの道、いくつものゴールがある。ただし、自らが目指すべきゴールは何か?それが判然としなければ成功者にはなりえない。

文学における成功とは、自らが目指すべきゴールがはっきりと見えていること、とも言えるかもしれません。




<<引用ここまで




だいたい私もこう思ってるのね。いろんな成功がありうる。

でもそのなかで、私が思うのは、





群雛って売れない雑誌で、怖い(かもしれない)編集長とか校正さんにビビりながら、それでも書き上がった作品を読んでもらえて楽しくて、同じように書いてる仲間がいて、そして毎月1回の刊行の日に終わった、世にでたー!って思って、数は少ないけどレビューをもらえたりして、そして売れるようになんか工夫できんかなあ、って一緒に考えながら七転八倒の日々を過ごす。





これ、もし、物語として見たら、面白くね?




新しい人が入ってきたり、中には波紋よんじゃうきつい意見言っちゃう人がいたり、それにうわー、そりゃねーよー、って大騒ぎしたり、外からいろんな意見もらって、ときによろこんで、ときに凹んだり。

 

そうしながら、確実にその物語は進んでるよね。

しかもそれはもう2年続けちゃって、3年目になるわけで。




我々は、もうすでにその物語のキャラクターになって存在してるのね。

しかも、その物語は、終わるとしても、間違いなく、我々はその時はしんどくても、思い出せば楽しいはずだし、全く関係ない人から見ても、すごくドタバタ含みで面白いと思うのね。




そのうえ、その物語のエンディングは、まだ誰も知らない。ぜんぜんネタバレしてないわけで。




こんな面白い物語って、世の中に、なかなかないよ?




少なくとも群雛は鷹野さんががんばってあちこちで露出させてるおかげで、売れないけど注目はされてるっぽい。




もしかすると、最終的には、この群雛、あるいは「ぐんすう!」って物語は、文学の歴史の一部になるかもしれない。大げさだけど、かつての「ガロ」みたいなもんになれるかもしれないし。






(ビミョウにネタが古くてすまん)



それは、我々「ぐんすう!」のキャラクターの考えと行動、がんばり次第で、どうにでもできるもんだよね。




こんな舞台って、そうそうないよ?




売れることも成功だけど、こうやって、売れないなー、なんとか売れないかなーと思ったりしながら、それでも書いたり、こんな工夫あるんじゃない? って言いあえる「場」があることって、すでに成功だと思うの。




で、その成功の一部が売れるってことであって、売れないからって全部が否定されるわけじゃない。




もちろん、そんなの疲れてもうやだ~、ってなったら、そりゃしょうがない。終わらせるしかない。




でも、せっかくだから、この「ぐんすう!」の3期、あるいは4期まで見てみたくない?




もしかすると、思いもよらないエンディングがあるかもしれない。ほんと、いろんな可能性があるんだから。いろんなシーンがまだあると思うのよ。




少なくとも、私は、「うまくなりたーい!(「響け!ユーフォニアム」)」って、泣きながら走るシーン、自分に起きるとは思わなかったよ……いやマジで。




とりあえず、私は、この「ぐんすう!」の「3期」が始まった以上、3期のエンディングまでは見てみたいのね。それもキャラクターとして中から。




もちろん、その「ぐんすう!」のまわりには、見てるだけの人はいるよ。




でも、べつにそれでいいじゃん。




その人達が面白そうだな、って新キャラになってくれれば嬉しいし、そうでなくても、それはふつうのコトなんだから。いまさらビビることないし。




だから、べつに深刻になることじゃないのね。いや、深刻なシーンも「ぐんすう!」には必要かもしれないけど、




べつに、これで失敗しても破産したりする人が出ないんだから、全然深刻じゃないよね。




だから、ぜんぜん怖くないの。売れないことも。いや、怖がるキャラもいてもいいけど。





我々は、確実にこの「ぐんすう!」ってドラマを、前に進めてるわけだから、ビビることなく、もっといろいろスベったりコケたりしてもいいの。




昔、ダメな雑誌で3号雑誌って言葉があったのね。






3号雑誌 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/3%E5%8F%B7%E9%9B%91%E8%AA%8C




引用ここから>>




現在では、主に雑誌や同人誌など編集・出版にたずさわる人々の間で使われる言葉となり、読者や資金が確保できなかったり、内部分裂などで定期的や継続的な刊行を早々に休廃止した雑誌に対する、自嘲や揶揄で用いられる場合が多い。




<<引用ここまで




え、今でも使ってるのか、と驚いたけど、群雛はこの3号雑誌から、「3期目」まで来たんだもん。




だから、全然成功なの。




危機感持つのも大事だけど、でもそれで書く手が止まるなんて言ったら、本末転倒だよね。





面白いもの書いて、面白い雑誌を作ろうよ。インディーズ作家として。





インディーズ作家がこんな面白い雑誌作れるんだ、ってところを、世の中に「見せつけ」る機会がこれからあるかもしれないんだから。




その機会は、かならずあるはず。まずそのときに面白い雑誌であることを目指そうよ。




その時が、ほんとうの意味で、インディーズ作家が市民権を得る、すなわちインディーズ作家としてのはじめの成功なんだから。



その次にはまたいろんな成功があるかもだけど。


まずここが原点だし、一つのゴールだよね。




そこからさきにもいろんなゴールはあると思うけど、まずそこを目指すとこじゃないかと思う。





そのために、売れる売れない以前でもあるし、売れる売れないとは別の次元で、我々はやっていいと思うのよ。ほんと。





やっぱり携わった群雛が仕上がったのを見ながら過ごす夜ってのは、結局楽しいもんだし。

ほんと、これ、久しぶりにその楽しさを感じたよ。私は。


この楽しさは、やっぱり、いろんな人に味わってほしいし。





というわけで、群雛2月号のレビューと、別冊群雛(2周年記念号)のレビューは、もうしばらく後で。しばしお待ちを。