2017年6月18日日曜日

周遊列車2017・26年の旅と始まり





うちのトランスイート四季島のお見送りに行く26年の旅。のエントリで、終わったと思っていた、SF雑誌オルタニア4号の企画。






これには、なんと続きがあったのです。

5月初旬

そもそも、5月初旬ごろ。

私の方でこの号の企画がかなり進んでいました。
「鉄道号」ということで、
表紙「四季島」、中イラスト「瑞風」で周遊列車誌上共演、
しかも、まさかのエビコー鉄研によるオルタニア占拠。
企画は順調に進んでいました。こっそり。

ところが。

順調すぎた。
かなり順調すぎた。

で、
うっかりカレンダーで気づいてしまった。

「あれ、これ、6月15日発売でなくてよくね?」

そのカレンダーには、

トワイライトエクスプレス瑞風運行開始・2017年6月17日

も書かれていたわけです。

ピコーン!(←思いついた音)

「これ、発行を6月3日以前に前倒しできない?」

なぜこう考えるのか。
それは使っているBCCKSの
プリント・オン・デマンド(POD)発行スケジュール。

https://support.bccks.jp/spec/paperbcck/schedule_paperbcck/
ここにはこう書かれてます。

発注〆切と出荷日について
〆切:毎週日曜日の24時 出荷:〆切日の翌金曜日

 つまり、
 6月3日(日曜)24時にPODのデータが間に合って注文すると、
 6月9日(翌金曜)に出荷

 となるわけです。
 で、これまで、うちにはその2・3日後、月曜日か火曜日に到着してました。びんぼーなので普通便ですから。

 となると、最悪でも6月3日にすれば、
 6月12日(月)・13日(火)
 には家に届きます。

 しかも、この号に瑞風のイラストを書いてくれた「鉄道模型の猛者」は、瑞風の走る地域に近いところにいる。

「こ、これは瑞風とSFオルタニアのイラスト瑞風並びが撮ってもらえるかもしれん!」

 さっそく猛者に連絡してみます。

「うーん、でも瑞風の運転初日でしょ。きっと他に撮り鉄多くてうまく撮れないよ。なんかいい方法ないかなあ。でも大阪京都はまず無理だろうね」
 さっそく暗礁に乗り上げかけます。

 だがしかし!
 トワイライト瑞風の運転ルートが判明。

 あれ、城崎温泉で長時間停車? 本当?

猛者「いや、城崎温泉駅は長時間列車を留置できる駅の余裕ないよ」
 もしかすると?
猛者「もしかすると、城崎で乗客を降車させた後、瑞風はどっかに引き上げて待機するかもしれない。城崎行きの特急はよく豊岡に引き上げてきてるね」
 豊岡って、たしか。
猛者「けっこう家の近くだよ。うまく行けば撮れるかもしれない」
 おねがいします!
猛者「うん、やってみる」

 となると、私ものんびりそれを待ってるのはどうかと思えてきます。
 せっかくだから四季島も撮りたい。
 四季島の2017年6月の運転スケジュールを見ます。

 土曜日発(1泊2日コース) 3・10・24日

上野   0915頃発
      レ
塩山   1150着
 (下車塩山観光・車外ランチ)
塩山   1630発
      レ
       車内ディナー
姨捨   2041着
     2130発
 (車内泊)
      レ
 日曜日
会津若松 0730着
 (下車会津観光・車外朝食)
     1122発
      レ
       車内ランチ
上野   1623着



 月曜日発(3泊4日コース)5・12・19日

上野   1140発
      レ
       車内ランチ
日光   1410着
 (下車日光観光)
     1700発
      レ
       車内ディナー
      レ
 (車中泊)
 火曜日
函館   0620着
       下車函館観光
     1220発
      レ
伊達紋別 1520着
登別   1620着
 (下車ニセコ・登別で宿泊)
 水曜日
東室蘭  1000発
洞爺   1100発
      レ
       車内ランチ
新函館北斗1320着
 (新幹線/リゾートしらかみ乗車・ディナー選択の場合下車)
青森   1640着
 (下車三内丸山遺跡見学・下車ディナー)
青森   2110発
弘前   2220発
      レ
 (車中泊)
      レ
 木曜日
鶴岡   0520着
 (下車観光コース3種選択)
あつみ温泉0600発
      レ
       車内朝食
新津   0930着
 (下車観光)
燕三条  1230発
      レ
上野   1720終着

 よく練られたプランだよなあ。JR東やるなあ。

 ここで私は考えます。9日に紙本発送、着くのは12日ごろ。しかも、その後一番近い四季島出発日は19日月曜か24日土曜。全然遅い。16日の土曜は運転設定がないし、私も16日は予定がある。ぐぬぬ。

 そのとき。
 ピコーン!(またひらめいた音)

 9日紙本発送でも、メール便指定なら最速で翌日着だ! 10日に届く!
 それなら12日の出発に間に合う!

 というわけで、がんばって編集作業します。
 執筆陣、デザインなどみんなよく協力してくれて、

 6月1日

なんと、6月1日に刊行。
 すぐにPODの紙本をメール便で発注します。

 6月12日







 そのお見送り作戦が成功したのは既報の通り。

 で、そのあと、瑞風のスケジュールも公開されました。

 6月17日 文豪と維新の歴史をたどる旅(1泊2日)

京都   1000~1030発
大阪   1045~1115発
       レ
       車内ランチ
        【第1部】11:30~
        【第2部】12:45~
       レ
城崎温泉 1415頃着
  下車観光(2時間45分)
城崎温泉 1700頃発
       レ
       車内ディナー
       レ
  車中泊
 18日
       車内朝食
東萩   0845着
  下車萩観光(3時間15分)
萩    1200発
       レ
       車内ランチ(各部屋で)
下関   1515~1545終着

 なかなかよく練られたプランです。JR西日本もやるなあ。
 で、城崎でやっぱり時間がある。

猛者「いけるかも!」

 というわけで猛者のもとにも本が届いています。
 あとは17日の決行を待つのみ。


 6月17日


 私は



 これを展示してました。こっちが先約だったので。
(まー登壇もしましたがなれないのでちょっと時間ミスったりでした。まだまだ修行が足りない)

 で、猛者から連絡。

猛者「こんなのしか撮れなかった、ごめんね」

 全然十分じゃないですか! 何を仰る!

 感謝しかないですよ。ほんと。人が写っててもそれもまた初日の熱気。演出。


すばらしい。
頼んでよかった。

と思っていたら。

猛者「なんか、瑞風、中線に転線したよ」


おおおお!!! バッチリ! 完璧!


キラ。瑞風のラウンジ、型式名がキラなのね。


この総裁も名前は長原キラ。
いいねえ。


うひひひひひ。


ばっちり。




そしてDD51に見送られて、


瑞風は城崎に戻っていきました。


というわけで。


ミッションコンプリート。

東西の周遊列車のダブル共演が叶いました。いや、うれしいのなんのって。


周遊列車は、イイゾ。


まだまだこの私作の模型の周遊列車「あまつかぜ」も改良が必要です。

旅は、また始まるのです。



SF雑誌オルタニア vol.4 [SF鉄道の夜]edited by Junichi YONETA』 神楽坂らせん、竹島八百富、淡波亮作、波野發作、山田佳江、伊藤なむあひ、米田淳一著


 というわけで発売中でございます。内容紹介が完全に「新幹線大爆破」になってますが、このテンションの高さはなかなかの見ものですよ。オススメ。激しくおすすめです!




2017年6月13日火曜日

トランスイート四季島のお見送りに行く26年の旅。



 いや、関係者が乗るとか、私が乗るわけではないんですけどね。

 私は周遊列車をこれまで作ってきました。
 80年代末、まだ九州ブルトレも元気に走っていた、とはいえ退潮気味なのがが危惧されていた頃。

 たしか「鉄道ジャーナル」だったと思います。海外には「周遊列車」があるよと。

 私はその紹介に大変感動しました。なにしろ、私にとって、幼いころ、寝台列車とは周遊列車であるべきだったのですから。上野発の夜行列車に乗っても、秋田の親戚の家に行くのは余録でしかなかった。私にとって夜行列車に乗ることそのものが一番の楽しみで、目的だったから。その結果、親戚の家で「早く帰りたい」と泣いて親戚を困らせたのを覚えています。だって子供心に秋田の古い家は馴染みはないし暗いし怖かったのです。

 そして高校時代。鉄道模型を本格的に作り始めます。小学4年のときにNゲージを初めたのですが、何度か中断しました。転居もあったし。でも高校時代は鉄道模型と鉄道にドハマリします。それは拙著「鉄研でいず」にもあるとおりです。あれに近い日々でした。

 そこでその記事に出会ったわけです。

 1991年、私はNゲージで周遊列車を作り始めました。94年には作り始めていました。牽引機はEF66 100番台。20系や10系、14系や24系寝台客車をちゃんぽんにしていましたが、その時からブドウ色に金メタルテープという外装は変わっていません。
 JR各社をまたいで走る周遊列車。運転するのは架空鉄道・北急電鉄。神奈川に路線を持ちながら、JR各社の線路を借りて北は北海道、南は鹿児島までの日本一周クルーズを実現する。それが「ブラウンコーストエクスプレス(BCE)」です。

 そしてEF66とは別に、独自牽引機を開発することにしました。JR東海区間を通過するための特殊旅客専用機関車です。
 タネ車はKATOのEF81。フライホイールが搭載された初期のものです。


 これは2001年7月1日の友人たちとの運転会で披露したその自作周遊列車「ブラウンコーストエクスプレス(BCE)」の写真です。今あるデジカメ写真の中で一番古いBCEのものです。牽引機はこのころEF500と呼んでました。最後の旅客牽引機というつもりで作りました。ボディはプラシートから手で切り出して作ったものです。足回りも手を入れてEF81からかけ離れたものにしました。


続く電源車は20系の電源車を交直両用にしたというものでした。


そして大窓インペリアルスイート車。これは90年代中期の組成初期から作ってました。
大窓作るのにアクリルを削って作ってました。
しんどくて二度とやるまいと思いました……アクリルは馬鹿みたいに硬いので。


客車ビュッフェのオシ16もつなぎました。
内装もないGM板キットでしたが、内装作ったり、そのあと室内灯つけたりと
いろいろがんばりました。

在来線用のダブルデッカー食堂車も作りました。
カシオペアE26系のダブルデッカー食堂車が登場するのは1999年。
それより数年先でした。


オリエントエクスプレスを意識して、シャワーカーならぬ
バスルームカーも作りました。
連接式で両端は3軸台車を自作。
めちゃめちゃ凝ってたけど上手く走らせる腕が私にこのころなかった。


そして最後尾は20系を改造した展望車。
これは車体を何度も更新して今に至ります。
この時のは屋根が外れて内装がボディと一体の古いKATOの製品から作ってました。
内装をやり直すのにもとの内装削るのがしんどかったのを覚えてます。


昔だったんでテールランプもついてなかった。

2000年4月に書いたウェブページにはこんなこと書いてた。
鉄道復権 
 まあ、『瀬戸』『出雲』がサンライズエクスプレスに置き換えられて、飛行機よりも遅く出発して飛行機よりも速く到着するダイヤを組んだと言うけれど、でもその結果乗客の睡眠不足が奪われちゃかなわんわな。当然近くのマイナーな駅に引き上げて『寝坊しても安心』のチェックアウトサービスにすると思う(え、しないの? そんなあ(;_;))。
 ともかくJRグループの最大の財産は線路です。長い長い線路、どこまでもどこまでも走る線路。こんなに稠密に鉄道が走っている国は世界でも少ない。
 そして通勤通学は少子化でもうこれ以上の需要増は望めない。
 とすればお客を海外から連れてきたらどうでしょう。古都京都、文化都市大阪・神戸、大都市東京、富良野の自然、日本海に沈む夕陽、紀伊半島・太平洋に昇る朝陽。そして火山灰降る鹿児島。こんな観光資源を持った国だもの、海外からお客を呼ぼうよ。
 と言うわけでブラウンコーストエクスプレスはそう言う発想のもと生まれたわけです。
 (打ち消し線は2017年になって入れた。2000年当時、ここ間違えてたのね)

 1991年当時、サンライズエクスプレスもなかった。サンライズエクスプレスは1997年6月にプレスリリースされたわけだから。

転居して結婚。
Nゲージは続けますが、でも急曲線の小さなレイアウトしか作れず、
BCEはしばらくお休みしました。

楽しいミニレイアウト時代でした。


まだ九州ブルトレも走っていました。2007年。



上野駅13番線でも寝台列車がバンバン夜に向けて走っていきました。


それを見るうちに、BCEが復活します。


最後尾の展望車も2代目に車体更新します。
今度はテールランプやテールサインが点灯します。


そして2008年、KATOのカントつきカーブレールを購入。
本格的にNゲージ長編成の運用を復活させます。




BCEの動画で一番古いものです。2007年12月。

だんだんエスカレートして、


こんな新宿駅1/150も作ったりします。でけえ。
大きすぎて列車が見えないのは大誤算でした。


2008年には自動改札も導入してた。


BCEもどんどん増車して、結果、牽引機を増強することにしました。
2代目のEH510と名付けた機関車を作ります。


そして、多くの仲間ができました。2010年。


震災の後に夫婦で乗った寝台特急「あけぼの」。2011年5月。

この年の1月、「ななつ星in九州」の構想が発表されてました。


北斗星も見ました。上野駅13番線。


ペーパー製無塗装Nゲージ模型も研究しました。


増強されゆく北急電鉄。


2011年6月、BCEの第2編成、ファンタジアコーストエクスプレスも就役。


こんなドームカーも作りました。





こんなに拡充。


編成はここまで来ました。

2013年、「ななつ星in九州」運行開始。
「トランスイート四季島」計画発表。


2014年5月、「トワイライトエクスプレス瑞風」のイメージ初公開。



そして、2016年。
ブラウンコーストエクスプレス就役25周年。


念願のJAM出展。

そのあと、次世代の周遊列車を計画します。





計画が進み、


建造していきます。


そして、


周遊列車「あまつかぜ」が就役します。


周遊列車擬人化ネタのある、


「鉄研でいず」なんて小説もはじめました。


いろんな縁で、2017年、こんな雑誌も出しました。

というわけで、ついに。

この雑誌をもって、周遊列車に会いに、上野に行きます。





上野駅。


13番線はこうなっていた。



そして、


やってきたのが、「トランスイート四季島」。


出発準備をしています。


この絵が撮りたかった。



ステマというよりダイレクトマーケティング。


そして、「四季島」は発車していきました。

実に26年前に始まっていた周遊列車が、こうして現実に見られました。

鉄道の旅よ永遠なれ、
寝台列車よ、永遠なれ。

その26年前のからの思いが、ここにつながりました。


いろんなことに、ありがとう。

万感の思いです。



この本も、周遊列車も作れて、見られて、よかった。

ありがとう。


あと、残ってるのは、私が実際に乗るだけ。
たぶん無理だろうけど。