2015年2月24日火曜日

ふつうに・月刊群雛2015年03月号レビュー!!



 はーい。昨晩発売された2015年03月号、普通に購入してレビュー。



 今回は更に読みやすい。

 今回は発売日に購入して、Kindleに転送して、お仕事終えて、CGモデリングしてたら04月号の掲載募集がきて、それやって、

 またレンダリング仕掛けて、さあ寝床でチラチラ読もう、とお休みの処方薬飲んで読み始めたら……

 ついついサクサク読んで……


 ありゃ! 最後まで行っちゃった!

 お陰で次の日の会議少し遅刻した……(群雛のせいにしてヒドイ)。

 でも、ほんと、スイスイ読める今号。では、レビュー。いつもながら敬称略ね。




 そういや、書き手として、敬称つけられると時々うーんと思うことがあるのは私だけ? 呼び捨てされると、かえって一般的なチメイド増えたようで嬉しい、みたいな。そこで「さん」はまだ比較的ましだけど、「先生」なんて呼ばれると……ハズカシクない?



僕の「電子書籍元年」 高橋拓史


 うわあ……。読みながら、いつの間にか心で泣いてた。

 私が電子書籍の時代が来るこないで「電子書籍なんかこねーよ!」「紙の本に勝てるわけ無いだろ常識で考えろ!」と散々に言われながら、EPUBがなかなかこなくて、小説の生テキストデータを自分でカード決済代行頼んでカートシステムやりながら売ってて、その心細さに泣いてた頃、EPUBの人たちもこういう苦闘してたのか、と分かって。もう、ね。

 でも、その方とこうして「あの頃は」と思えるのはすごく進んだなあと思う。あまりにも技術的な問題が多すぎたからねえ。これまで。

 個人的に1プレイ50円のゲームに熱中してたという冒頭ですでに心わしづかみですよ。電子書籍元年の定義なんかも大いにうなづける。私はその前に孤立しながらやってて、まさに暗黒時代でした(´;ω;`)ブワッ。

 ああ、あのころから今みたいにKindleでザクザク本を買ってその場でねっころがって読むとか、ほんと、夢のようです。でもまだ上陸作戦、バンカーショット作戦は続いているんです。

 国が絡むところとかも(´;ω;`)ブワッ。

 個人的に、いつかかつて全盛期の芥川直木賞クラスが普通に電子書籍から出る日まで、戦いは続くと思ってます。でも温故知新しながらやってかないとね。



01-20 神楽坂らせん

こうきたかー。ほんと、相変わらず攻めるなあ。

 母体団体のNPO化で注目浴びてるこの「月刊群雛」に参加したい方は必読。

 作品をこれから世に出そうとしてる人で群雛に参加しないってのは、正直手ぬるいっすよ。せっかく鷹野さんが頑張って話題作って人集めてくれてるのを活用しないって手はナシです。正直。弱小出版社の新人賞とか当てにして応募しても、首尾よく獲れてもその後は正直ないし。まともに新人賞取ってあとで作品やっていけるのは角川系だけっすよ。ぶっちゃけ。原稿持ち込んでも塩漬け、あと新人賞でハネられるのをただ繰り返しても全然目はないっす。コンクリートの永久堡塁にただ銃剣突撃して死屍累々になるだけですよ。

 それだったら、ほんと、群雛に出品して、編集さんにバリバリとツッコミ受けたほうがいい。編集さん優しいけど、文章には厳しい。いい経験になります。あと共同編集の仕組みを分かんないと、たぶんこれからの出版では生きていけない。編集さんも書き手も。

 そういう意味でも、この作品は必読。作品としてできてる以上にすごく実用性高い。見て感じる、読めば分かる! ですよ。

 でも、この作品もう一つの面でも攻めてるのね。だめ、そこ攻めちゃダメ(笑)! 変態、変態っ、ド変態ッ!(アイマス三浦あずさの声で) でもやってみたいけどね(私はもっと変態なのだ。ははは(恥))



夢を継ぐ 芦火屋与太郎


 連載。

 農業はシンドいよね。とくに後から田舎に行って農業するのはすごくシンドい。

 読みやすい文章の中で農作業のしんどさ、その合間の僅かな休息の優しさがビシビシくる。甘くないよね、農業。終わるまで終わんないもんね。時給月給関係ないもんね。自然は全然情け容赦してくんないし。私には絶対無理。

 インタビューでも辛いが連発だけど、そのとおりに辛い。でも、だからお野菜は美味しいんだよね…。お百姓さん有難う!

 といいつつ、実はまじめにやらなくてもお金が入る農家もあるんだよね。田舎に住んでるのでそこら辺も知ってる私として、これも泣きそうになった。

 今の田舎は今実際、マルクスは本気で正しかったの世界だもん。もとから土地持ってれば補助金もらう農家テケトーにやりながら息子役所に就職させて時々農業委員会で地主もやれば、やりたい放題だもんね。だから正直、地方創生なんかウンコ以下だと思ってる。まあ、そのもっと下になっちゃう自治体も多いけどね。

 ほんと、そういう田舎の土のシンドい匂いがするところがいい。次回に続くので楽しみ。


みまちがい 神光寺かをり


 おおっ、戦国ものだっ、しかも結構真面目だぞ! 戦国時代の狙撃弓兵というSFに逃げた誰かさんとは大違いだ、って、それは私だー!(ヒドイ。私の「信長の身代金」(月刊群雛2014年03月号に掲載)がそれだった)

 でも、今回のこの作品には感心しちゃった。山本周五郎の再来じゃないかと思うほど楽しく読んだ。いいねえ。オチがいいねえ。すごく綺麗に多段オチが決まってる。すごくシブくてうまい。

 たしかに戦国時代にテレビも写真もないもんねえ。人を見て分かるには、実際に会うしかないもんねえ。しかも敵味方だったら戦場で会うしかない。そこらへん、なんか、映画「眼下の敵」みたいな渋さもある。

 物語としてすごく気に入ってしまった。いい。

 池波正太郎が好きですかー。分かる気がする。あの頃の小説家もまた、渋くていい短編書いてたよねえ。好み。こういうのをどんどん量産してくれると嬉しい。


ギソウクラブ 晴海まどか(文)合川幸希(イラスト)


 おおー、おなじみ晴海さんの連載だ。というわけで拝見。イラストはキンドル・ペーパーホワイトで見てもいい感じ。でもカラーで堪能するのもおすすめ。

 なるほど、なんかすごく今風味の学園サークルモノ。サークル内に双子はいるし、会長に副会長1年生黒髪カチューシャに関西弁。おおお。フル装備だっ。往年のSTG「グラディウス」で言えばコナミコマンド入力した状態ではじめてしまうほどの盤石の王道学園サークルものだッ。

 千葉都市モノレールが出てくるところとかも、おおっ、これは聖地化計画!? なんと、全方位体勢!?

 なんとも、「アニメ化前提に作ったな! うちは話があっても立ち消えになったのにッ!」(この場合の答えは「アニメ化・メディア展開の話をされない一人前の書き手なんかいない!」byブライト艦長である) というほど、狙いまくりの学園モノ。

 なのに……なんと、あの「キャッキャウフフ」ではないのである。キャッキャウフフ「Ver2」ともいうべきような、以前と次元の違う描写の深み、地の文の文体の落ち着き・安定感がでて、格段に読みやすく、内容に更に没頭できるようになっている! インタビューをみると、なるほど満を持して発表しただけのことはあるな、と思う。

 ほんと、最初からレベル高かったけどどんどん上手くなっていくので、私自身すごく焦りを感じちゃうのである。ああ、おいていかれちゃうよなあ、と。

 連載の続きが楽しみ。あと4回楽しめる。


Pisces 青海玻洞璃鯉


 おなじみの詩人さんの詩集。

 ほんと、いつも「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」のように、迂闊な感想書いちゃうとこっちがすごく深く見透かされてしまうので、感想書くのにすごくキンチョーしてしまうのである。そういう真剣に鑑賞させられてしまう質の詩なのです。

 今回歌詞風味のところは抑えめに感じた。文章媒体での発表を意識して最適化された感じを受けた。それがすごくまた変化として興味深い。

 あと、すごく強いメッセージ性。これ、私を含めたインディーズ関係の書き手に強くビシビシと訴えて尻引っ叩いてるよね。しかもすごく愛情を持って。手ぬるいことをするな、って。

 文章を書いたり読んだりって、実はすごく怖い面を持ってる。深淵もそうだし、誤読可能性もそう。まして、それを読んでもらうことはすごく勇気がいる。決して優しいことじゃないのね。

 そういうことを書いてるんだと思う。すごく迫ってくる。感じる以上、理解せざるを得ないのね。

 そう言いながら、作者の深淵もまた見えてくるような。すごく引き込まれる。

 詩に上手い下手があるとしたら、間違いなく上手い方の人だなと思う。ただ、上手いを超えて響いてくるから、ホント、詩ってこういうもんだよなあと思うのです。説明一切なしの最短距離でショートカットして伝わってくるものだもんね。

 あと、インタビューも見て理解したのが、ああ、すこし文字の背後に「死の匂い」があったな、ということ。椎名林檎の「甘い死の匂い」とちがって、甘くないのね。言うなら、過酷な圧力無限大の真空の世界みたいな。灼けるような激しさがある。それもまた作者の演出だろう。


わた雪 森実果子


 モチーフの雪が全部に効いてる恋愛小説。ドラマだねえ。修羅場もあるけど読後感が濁らずにちゃんと雪の淡さになっているところがいい。作風も安定している。けっこうシンドい人間関係になってるのね。

 私個人的にはこんなシャープな恋愛ではなくもっとドロンドロンのときもあるけど、それ以上にすごく楽しい恋人時代と結婚生活をして、そして離婚したので(ヒドイ)、いろいろ考えさせられた。登場人物の背後の生活状況とか個人史とかについ興味を持ってしまう。人間ってすごいコンプレックス、複雑度を持って、それでシンドい中、同じようにシンドい相手と思いがつながったり離れたりする。

 恋愛ってそういう奇跡だし、それだからこそ、一度結びつくと、必死でしがみついちゃうんだよね。未練とか、きれいな別れ方ができないとかはそこだと思う。そういう人間関係が更に複雑に鳴ったら……怖いよなあ。

 でもそこを書きすぎると「このキャラクターは書き手のお前だー!!(ドーン!!)」という喪黒福造が作動してしまうので要注意だぞ。(現在作動中のワタクシ)



サイクロプス 王木亡一郎


 うわっ、♡かっ! ♡マークかっ!(いやEPUBをKindleで読めるように変換したらそうなった)

 というか、なんかこれは、この学園モノでキャピキャピしながらちょい背後のしんどさが香るこの感覚、って、あっ、「キャッキャウフフ」だっ!(ヒドイ)

 まさかこの人にあれが飛び火するとは! いやそういうふうに読めてしまった。でも晴海さんのキャッキャウフフVer1の初期には若干手の遠回りがあったけど、こっちは最短距離で攻めてくる。しかもノリの良さは元祖Ver1よりさらにいい。音楽的な激しさ、ファンタスティックさがある。

 失礼にも晴海さんのキャッキャウフフと比較してしまったが、しっかりこの作者のオリジナリティ出てて、個性的で、しかもしっかりモチーフどおりにオチを決めてくるところは立派。読みやすいし。私の好み。

 なんか今回、私の好み揃いだぞ。狙われてるのか? 狙撃されてるのか!(いやおかしい)



7・18豪雨 きうり


 おおおっ。「**さんは雨の中、田んぼの様子を見に行くといって行方不明に」の定番の危険フラグを「予言写真」とともにモチーフにしたホラー。

 でもこれ、ホラーとしてよく出来てる。ホラーってのは怖くなるよ、怖いぞ怖いぞ怖いぞ、ほら怖い!ってやっても、書き手の思うほど怖くない事が多い。特に書き手に怖いものに対する不思議のままのところがあると、読み手は不思議よりもっと浅いレイヤーの理解不能で止まってしまう。

 本当に不思議なホラーを書くには、書き手は計算できるように不思議の一切ないホラーとして構築しないとダメ。書き手がそういう方向で脳がSF的、数理的に発達してないとうまく書けないのね。

 それがこの作品、しっかり理解した上でやってる。だからしっかり怖いし、怖いを超えて不思議な感覚になってると思う。これもワタシ好み。うまい。これも多段オチになってるし。いい。

 体験を元にしてるというけど、体験をちゃんと咀嚼して作品にする力がある人だなと思った。こういう力がある人は先にイケルと思う。



春香しく 長島たま(表紙イラスト)

 

 いやーん。独特に色っぽい~(喜)。

 春ですなあ。本当に春らしい。これはモノクロではなくカラーで堪能することをおすすめ。

 がんばって描きませう。僕も描くから君も描け!(意味不明)

 あと、裏表紙もあるのでちゃんとごらんになることおすすめ。


あとがき

 TANABEさん

おつかれさまでしたー。あとがきがグダグダなのは基本ですー。グダグダだけど読んでホッとする、そんなあとがきも良いもんですよー。あとTANABEさんによるデザインコラム大期待と煽ってみる。

 晴海さん

おつかれっすー。年齢論、ぐわあ、と思いました。私もそうだ…。1年が速いのなんのって。ああ、確定申告どうしよう!!(かなりやばい)

 西野さん

はじめましてー。編集参加も楽しそうだなあ。編集作業も楽しいもんですよね。来月もよろしくですー。

 竹元さん

 おつかれですー。人生は難しいに決まってるじゃないですかー。簡単だったら飽きてしまいますよこんなもん。(いや今私がたまたま元気だからそう思うだけです……すまぬ)

 鷹野さん

記者発表+編集作業でほんと、おつかれさまでした。裾野も広がれば頂も高くなる。そうなっていければいいなーと思います。まあ、そうなるはずなんですよね。芸事っていつもそういうもんですから。


総括~読後に思ったこと


 まず、すごく読みやすくなった。たまたま私の好みが一気にならんだせいもあるだろうけど、それをのぞいても底上げが大きいというか。

 これは編集さんとともに書き手がどんどん相互作用している感じがある。私も事実、これまでいくつか「おおっ」というより、私自身について「このままじゃダメだ、このままじゃダメだ」(いまさらのエヴァネタ、しかもずれてる)と思わされる作品がいくつもあった。

 で、レビュー書くようになって、またそれがすごく身に染みるのね。


 群雛は「巧拙は問いません」とあるけど、実は一番それが怖いのね、書き手としては。


 まず誰と並ぶかわからんのだもん。載ってみて、喜びと同時に、うわあ、うちは遜色もんだよー! と泣きたくなることもある。


 書き手とか作り手で、一番怖い評者であり批判者は自分自身なのね。まずそのことを実感してない人は、まず先に望みないと思う。

 自分って怖いよー。自分が上手くて怖いんじゃないの。むしろ、夜に上手いと思って書いてたら朝になって「上手いつもりになってた昨日の自分を昨日に戻って絞め殺したい!」と思うことがよくある。

 まして手抜き、ワンパターン、決め打ち、マンネリ、下手くそ! と自分を罵る言葉は事欠かないもんです。故・伊丹十三監督も、すこしそれを一時的に引っ込めないと何もつくれない、と映画日記に書いているほど。手の内を知り尽くして批判してくる自分ってのは一番怖い。その怖さ、自己批判力にくじける経験を経てないと、その先はない。

 で、それでなんとか最後までたどり着けても、他人に見せると、見せながら「いやー、自分下手でさー」っていうことあるけど、これ謙遜じゃなくて、実は予防線張ってるのね。相手の期待度を下げて、相対的に「でもよく書けてるじゃん」と言ってもらいたいの。すごく褒められたいの。

 「褒められたくてやってるんですか」なんて時々わかったような台詞があるけど、何を言うかですよ。「褒められたいに決まってる」じゃないですか。バカ言っちゃいけない。人間、承認欲求が満たされなければ死んでしまうよ。ほんと。でなきゃ嫁さんも恋人も友人も同僚もいらないし人間の社会も存在しない。動物的にすでにそうなんです。たぶん群れとして社会を作ってるアリでさえ承認欲求で動いていると思う。当然です。逆に褒められて嬉しくないという感性のひとも、なかなか先がシンドい。

 でも、褒められても嬉しくない時がある。ああ、自分でわかってる瑕疵に気づいてもらえなかった、そこまで「深く読んでもらえなかった」、と思うこのどん底感! これもまたしんどいの。




 だいたいにおいて、誰かのツイートで見かけたような気がするけど、作品において「ここを書いた作者の気持ちを答えなさい」の答えは「こんなの書けるオレって大天才! すごすぎ! 最強!」か「もう字数かせいでるだけです、許してください、泣きたい!」のどっちかだ、ってのは本当。それぐらい天国と地獄を往復しながら書くもんだと私は思う。



 そのなかで、編集さんが敵になってしまうというのは、実は厳しくて鍛えられる環境と誤解してる人いる。冗談じゃない。編集さんが敵だったら、それは単なる地獄ですよ。鍛えられる環境でもなんでもない。

 絶対に編集さんとは同志、同じゴールを見て進むチームであるべきなんです。でなきゃ、ただズタボロに消耗していくだけです。そこに残るのは妬み嫉み、そして絶望しかない。

 目標、一緒に物語を読者に届ける、その目標を共有したときのみ、前向きな、創造的な希望が生まれる。そしてそこにしか成長はないんです。




 編集という仕事の側から見ると、やはり同じく編集者としての成長もそこにしかないと思うんです。とにかく場数を踏む。その場数は、喧嘩別れの場数じゃない。同じ困難を乗り越えるべく、知恵を出し合うときのみ。喧嘩別れ、ボツにすることなんか、一緒にものを作り上げることで得られる経験値に比べればほんの僅かなもんです。

 結局は往年のジャンプ漫画なんかと同じく、夢、友情、冒険。だから往年のジャンプ漫画はテッパンなんですよ。




 で、「群雛」は、そういうまさしく良い舞台なんです。巧拙問わないと言いつつ、編集さんととにかく本を出すというところで目標を共有してる。しかもその前にまとまった話を一応作れる技術はないと掲載要件満たせないという足切りを食らう。その足切りライン超えて編集作業に入ると、ほんと、「建設的に容赦なく」検討が行われる。けなしたりはない。そんなの意味ないからね。

 でも、同じ本を作るために提案に提案で応えるんだけど、そこに容赦はない。

 優しすぎるように見えるけど、これが「ただ優しい」と思ったら、それはぜんぜん的はずれだと思う。

 提案に提案で返せない時の悔しさ、提案で返せた時の嬉しさ。もちろん、リスペクトの上での話なんだけど、だからこそ、そのリスペクトに応えなきゃ、っていうハードルの高さを感じるのね。でもそれを越えようという気になるから、どんどんがんばっていける。

 そういうことを考えられないレベルだと、やっぱり、先はむずかしいのね。




 これから書き手としてうまくなるためには新人賞を獲ればいい、ってのは、一面では正解。確かに新人賞の足切りに達しない時点でシンドい。

 でも、もう一面では不正解なのね。足切りに達しても、最近は残念な読み手が審査することも少しあるから。審査にその少しの甘さがあるかぎり、応募する側も甘さが残りつづける。それはすごく不幸なのね。
 審査というものは完璧でないといけない。大学受験で少しでも採点がいい加減だとなっちゃうと、もう何を信じて大事な子供時代の長い時間、受験頑張ればいいかわかんなくなるでしょ?




 もちろん、ほんとは新人賞取った後でその受賞者を育てていけない、売っていけない、力のないところも多いけどね。新人賞がいくつあるかもうわからんほどネームバリューもなくなっちゃったけど、それはそれとして。




 まず、「群雛」掲載にチャレンジするための情報収集力は最低でもないと、やっぱりシンドいと思うんだわ。調べ物の瞬発力がないと。時間がないのはみんなおんなじ。募集に間に合わないのもそれはそれで言い訳。言い訳はし始めたらどこまでもできちゃう。最後には書かない言い訳考えて、もうやめちゃうのね。まあ、それも人生かもしれないけど。

 でも、書くことって、私自身、ちょいお勤めして、改めてすごく基礎的な行為だと思った。仕事で誰かに何かを頼む、何か仕事の手順を確認するとき、書いて整理するってことは絶対に必要。その能力が乏しい人は別の仕事を選ぶしかないけど、せっかくその能力をすこし自分に見ちゃったなら、それは伸ばしたほうがいいと思う。

 その結果作家になれなくてもいいけど、結局、人生においてストーリーに何かを整理する能力は絶対に必要だから。どうやっても報告書とプレゼンと集計からは逃れられないのが現代人だと思うの。そのスキルを少しでも高めないのはもったいないよね。




 そういう意味でも、希望のない新人賞にただただ突撃して弾かれるよりは、「群雛」への参加はずっと自分を成長させると思う。褒めて伸ばされたい! って人もいるし、正直私もそうだけど、褒められるなかで、うわ、自分ホントは褒められてない、と思っちゃう時の怖さがわかると、実はすごく厳しい場なのね。

 それに提案受けてそれ以上の提案をするってハードルを超えて同じ一つのゴールを目指すというのは、そこから学べることはすごく多いのね。




 というわけで長くなっちゃったけど、でも「群雛」はだんだんそういうものになっている気がする。そしてそこに競争原理、ましてアンケートとか新人賞なんてインスタントなものでしか自分の力量がわからん人はそれまでだ、と思う。そんなもんはどうせ大手雑誌が電子化すればいくらでもやるだろうから、そんな平凡なことしてもつまらんし、つまんなくなったら、あとは滅びるしかないよね。




 むしろ、課題としてレビュー書きながら他の人のもの、とくにレベルの近い中級者の手腕を分析するのはすごく勉強になる。がっちりした既成品ではない、荒削りからこそ、自分だったらそのなかで荒いところからどうすべきかがすごく身に迫るから。

 自分の荒いところはなかなか分析できない。岡目八目と言う所以。だからこそ技量の近いものの例を見ることが、最終的には自分の分析にもなる。

 そのうえでレビューを書くの難しいけど、レビューを書くだけの筆力のない人がなんでいい作品が書けるかも疑問だし。昔の文豪はほぼみんな、いい審美眼をエッセイや評論で見せてたでしょ? レビューを書く勇気があるからこそ、自分の作品を、ただ自分という最強の批判者を「引っ込ませる」のではなく、それに「挑む」ような勇気で書ける、ってもんだと思うけどなあ。

 棋譜の読めない将棋指しがいないのと一緒。有名なものと同時に、同じくらいの段位の棋士の棋譜を互いに検討するのが力になる。

 大昔にそういう場はなかったからできなかったことが、今だからできると思うのね。「群雛」はこれまで存在しなかった「書き手の『将棋会館』」みたいになる、というと言いすぎかな。




 でも、ほんと、原稿や編集などに参加して掲載されることでどんどん成長していける。そんな性質の場の予感を「群雛」に私は見ているわけです。

 その予感が、徐々に確信に変わりつつある感じを、とくに今回受けました。

 うん。私もガンバラナクテワ、なのです。









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