2016年2月1日月曜日

群雛について、1ヶ月しんどかった結果。



実はね。




今、ようやく1ヶ月しんどかったのが終わった感じ。




すごくしんどかった。




群雛のこと。




いろいろあったけど、今、いろんなことがはっきりして、楽になった。




要するに、呪縛だったんだよね。

私もそれにやられてたし、群雛に関わる人みんながそれにかかってたと思う。




でも、その解決ってのはあったの。




まず、売れなきゃいけないってのは、すごくしんどい呪縛でね。

実は私も商業ベースでやってた頃に、これがすごくしんどかった。




数字見ちゃうと、もうその「売れなきゃ」の呪縛がバッチリハマる。

で、それ考えると、誰も手も足も出ない。特に書いてるときは。

売る時も、じつはセールスの数字ってのはすごく怖いし、ましてそれを守りに入ったら、ますますダメになる。




でもこれ、よく考えると、アンケート主義に陥って悲惨になったメジャーのマンガ誌と同じなのね。

数が一番なら、なにも考えることはないわけで。

売れれば正義だったら、売れない方はどうやってもチャンスはないわけだし。




だけど、売れるってのは条件じゃないのね。売れなきゃ書かないなんてのは、書き手にとって一番ダメなパターンだし。

売れるかどうかわからんけど面白いの書きたい、ってのが基本だし、その結果として売れるかも、って話だし。




で、群雛って、ほんとに売れなきゃダメなのか、っていう疑問があって。






売れなきゃダメ?


ほんとに売れなきゃダメ?





それは目的によるんだよね。




群雛で、書くあなたはどうなりたいのか。




同人みたいに楽しく書いて、楽しく作って、結果売れなくていいって考えるか。

苦しい思いしてがんばるとしたら、何を目標に頑張るのか。

メジャーデビューを目指す?




現実には、群雛から直接メジャーデビューなんて無理。

そういうルートだったら、他にすでにある。特にpixivとか投稿サイトから一本釣りされてる例は今多いし。

群雛も独立作家連盟も、そんなことぜんぜん担保してない。少なくともその最短ルートじゃない。




じゃあ、何のために群雛に書くの?

メジャーデビューするわけでもない。同人作家でいるわけでもない。

すごく中途半端だよね。




でも、実はそれでいいの。

そういう中途半端な人が、実はいいの。

だって、まだ何者でもないから。

メジャー作家でもないし、同人作家でいるわけでもない。




じゃあ、何者なのか。

それは、実はみんな、見慣れてるというか、サラッと見て気にしなかったと思うここにあるの。






NPO法人日本独立作家同盟: 法人概要

http://www.allianceindependentauthors.jp/p/about.html

引用ここから>>
NPO法人日本独立作家同盟とは?



インディーズ作家よ、集え!

当法人は、文筆や漫画などの作品を、自らの力で電子書籍などのパッケージにして世に送り出している、インディーズ作家の活動を応援する団体です。伝統的な出版手法である、出版社から取次を経て書店に書籍を並べる商業出版「以外」の手段、すなわち、セルフパブリッシング(自己出版)によって自らの作品を世に送り出す・送り出そうとしている方々をサポート対象としています。

<<引用ここまで




要するに、インディーズ作家なのね。我々はすでに。




で、そんなもん、まだ「市民権」を得てない。
世の中的にはインディーズ作家?なにそれ、なわけ。




でも、現状を考えてみると、

メジャー作家も専業で稼げてる人はごく僅か。

芥川賞ですらも、「花火」の又吉さんのあとに誰が受賞したのか、話題にもならないよね。




で、同人で儲けてる作家がいるかもしれないけど、それはあくまで一部だよね。




そこで、一つわかるのが、作家っていう存在は、もうメジャーな商業出版でもしんどいし、同人でもうまくいってない。




そこでインディーズ作家、っていう存在が、もしかするとそこで「市民権」を得られるかもしれないのね。

それが、メジャーのやり方でもなく、同人のやり方でもなく「成功」できれば、そりゃ「市民権」得られると思うの。

それって、すごくない?

なかったものを、作って、しかも市民権まで持っちゃうわけだから。




「成功」が「売れること」だけだとしたら、そりゃメジャーのやり方しかないよね。メジャーは資本持ってるから宣伝費もドバっと出せる。それに簡単に対抗できるわけがない。




でも、「文学的成功」ってのは、「売れること」だけじゃないのね。

じゃあ、文学的成功って何か。





こんなのがあった。





文学に於いての成功、とは何でしょうか?そのようなものが有... - Yahoo!知恵袋

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10148058960




引用ここから>>
ベストアンサーに選ばれた回答



カテゴリマスター

fukuouhyakuwaさん

2015/7/2010:58:55

小説家として食っていける人間であるというのが成功でしょう。

いくら優れた作品を書いたとしても、その道で食っていけない人間は成功者にはなりえない。




路傍の石を読んで、生きることを諦めなかった方がいます。また、熱狂的なファンを数多く持つ作家もである。

これもまた成功でしょう。文学と呼ばれるものは、いかに人の心を動かすか?であると考えれば。




実験的な作品を書き続け、ある作品において、自らの書きたかったものが見つかった人間もまた成功者でしょう。

実験とは結果が伴ってはじめて成功と呼ばれますので。




著名な賞を受賞した、これもまた成功でしょう。主観的に傑作だと思っていても、客観的評価が伴わなければ、それは自慰行為に過ぎない。




文学における成功は、いくつもの道、いくつものゴールがある。ただし、自らが目指すべきゴールは何か?それが判然としなければ成功者にはなりえない。

文学における成功とは、自らが目指すべきゴールがはっきりと見えていること、とも言えるかもしれません。




<<引用ここまで




だいたい私もこう思ってるのね。いろんな成功がありうる。

でもそのなかで、私が思うのは、





群雛って売れない雑誌で、怖い(かもしれない)編集長とか校正さんにビビりながら、それでも書き上がった作品を読んでもらえて楽しくて、同じように書いてる仲間がいて、そして毎月1回の刊行の日に終わった、世にでたー!って思って、数は少ないけどレビューをもらえたりして、そして売れるようになんか工夫できんかなあ、って一緒に考えながら七転八倒の日々を過ごす。





これ、もし、物語として見たら、面白くね?




新しい人が入ってきたり、中には波紋よんじゃうきつい意見言っちゃう人がいたり、それにうわー、そりゃねーよー、って大騒ぎしたり、外からいろんな意見もらって、ときによろこんで、ときに凹んだり。

 

そうしながら、確実にその物語は進んでるよね。

しかもそれはもう2年続けちゃって、3年目になるわけで。




我々は、もうすでにその物語のキャラクターになって存在してるのね。

しかも、その物語は、終わるとしても、間違いなく、我々はその時はしんどくても、思い出せば楽しいはずだし、全く関係ない人から見ても、すごくドタバタ含みで面白いと思うのね。




そのうえ、その物語のエンディングは、まだ誰も知らない。ぜんぜんネタバレしてないわけで。




こんな面白い物語って、世の中に、なかなかないよ?




少なくとも群雛は鷹野さんががんばってあちこちで露出させてるおかげで、売れないけど注目はされてるっぽい。




もしかすると、最終的には、この群雛、あるいは「ぐんすう!」って物語は、文学の歴史の一部になるかもしれない。大げさだけど、かつての「ガロ」みたいなもんになれるかもしれないし。






(ビミョウにネタが古くてすまん)



それは、我々「ぐんすう!」のキャラクターの考えと行動、がんばり次第で、どうにでもできるもんだよね。




こんな舞台って、そうそうないよ?




売れることも成功だけど、こうやって、売れないなー、なんとか売れないかなーと思ったりしながら、それでも書いたり、こんな工夫あるんじゃない? って言いあえる「場」があることって、すでに成功だと思うの。




で、その成功の一部が売れるってことであって、売れないからって全部が否定されるわけじゃない。




もちろん、そんなの疲れてもうやだ~、ってなったら、そりゃしょうがない。終わらせるしかない。




でも、せっかくだから、この「ぐんすう!」の3期、あるいは4期まで見てみたくない?




もしかすると、思いもよらないエンディングがあるかもしれない。ほんと、いろんな可能性があるんだから。いろんなシーンがまだあると思うのよ。




少なくとも、私は、「うまくなりたーい!(「響け!ユーフォニアム」)」って、泣きながら走るシーン、自分に起きるとは思わなかったよ……いやマジで。




とりあえず、私は、この「ぐんすう!」の「3期」が始まった以上、3期のエンディングまでは見てみたいのね。それもキャラクターとして中から。




もちろん、その「ぐんすう!」のまわりには、見てるだけの人はいるよ。




でも、べつにそれでいいじゃん。




その人達が面白そうだな、って新キャラになってくれれば嬉しいし、そうでなくても、それはふつうのコトなんだから。いまさらビビることないし。




だから、べつに深刻になることじゃないのね。いや、深刻なシーンも「ぐんすう!」には必要かもしれないけど、




べつに、これで失敗しても破産したりする人が出ないんだから、全然深刻じゃないよね。




だから、ぜんぜん怖くないの。売れないことも。いや、怖がるキャラもいてもいいけど。





我々は、確実にこの「ぐんすう!」ってドラマを、前に進めてるわけだから、ビビることなく、もっといろいろスベったりコケたりしてもいいの。




昔、ダメな雑誌で3号雑誌って言葉があったのね。






3号雑誌 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/3%E5%8F%B7%E9%9B%91%E8%AA%8C




引用ここから>>




現在では、主に雑誌や同人誌など編集・出版にたずさわる人々の間で使われる言葉となり、読者や資金が確保できなかったり、内部分裂などで定期的や継続的な刊行を早々に休廃止した雑誌に対する、自嘲や揶揄で用いられる場合が多い。




<<引用ここまで




え、今でも使ってるのか、と驚いたけど、群雛はこの3号雑誌から、「3期目」まで来たんだもん。




だから、全然成功なの。




危機感持つのも大事だけど、でもそれで書く手が止まるなんて言ったら、本末転倒だよね。





面白いもの書いて、面白い雑誌を作ろうよ。インディーズ作家として。





インディーズ作家がこんな面白い雑誌作れるんだ、ってところを、世の中に「見せつけ」る機会がこれからあるかもしれないんだから。




その機会は、かならずあるはず。まずそのときに面白い雑誌であることを目指そうよ。




その時が、ほんとうの意味で、インディーズ作家が市民権を得る、すなわちインディーズ作家としてのはじめの成功なんだから。



その次にはまたいろんな成功があるかもだけど。


まずここが原点だし、一つのゴールだよね。




そこからさきにもいろんなゴールはあると思うけど、まずそこを目指すとこじゃないかと思う。





そのために、売れる売れない以前でもあるし、売れる売れないとは別の次元で、我々はやっていいと思うのよ。ほんと。





やっぱり携わった群雛が仕上がったのを見ながら過ごす夜ってのは、結局楽しいもんだし。

ほんと、これ、久しぶりにその楽しさを感じたよ。私は。


この楽しさは、やっぱり、いろんな人に味わってほしいし。





というわけで、群雛2月号のレビューと、別冊群雛(2周年記念号)のレビューは、もうしばらく後で。しばしお待ちを。


0 件のコメント:

コメントを投稿