2015年10月10日土曜日

おでかけ・日本独立作家同盟主催セミナーに行ってきました。

おでかけしました。



これには乗らなかったけどね。



いつものバス停から出発。


秋の空だねえ。


結構バスに人が乗っていた。

で、海老名につくと、ららぽーとができていた。

オープン寸前だったのね。


でけえ。


建築許可票がびっしり。それだけ大工事だったんだなあ。


JR駅と小田急相鉄駅の間の通路。

サイネージがどっさり。


こんなに立派になっちゃって。


うむ、「鉄研でいず」の舞台に選んで正解だったな。


海老名といえば海老名検車区。

ホームから入れ替えの列車が見放題。

まさに特等席。


ホームにボケーっといるだけでいろいろ見られて、暇つぶしが捗る。


真ん中に東京メトロ(旧営団)6000系がいた。

今や数が少ない車両が何故か海老名に。

ケータイしかもってなかったので、ズームの限界でこれ。


ちょっとホームを小田原方に歩けばもっといろいろ見られて楽しい。


線路のウネウネは美しいよね。


でも乗った電車は運転台の後ろのカーテン半分閉めてた。しかたないよね。

ケータイで原稿やりながら移動。



相模大野から立ち席前展望に。暮れなずむ街、光る信号、輝く轍。何気ない通勤電車も、改めて見てみると楽しい。

電車の運転台、コックピットの運転士さんの手。素敵だなあ。こういうの好きなんだよね。職責、という言葉そのままの緊張感がすき。この手に列車のみなの運命がかかっているんだよね。



テツ入ってゴキゲン。




駅の橋上駅舎って、結構架線上ギリギリなんだなとか今更確認したり。普段電車乗らない生活環境の鉄道模型好きなので、こういう時がとても楽しい。
あと、カーブホームの下の蛍光灯とか面白い。
 

ここからしばらくこの列車はノンストップ。そういや信号の色って、よく見ると青でも緑でもない色なんだよね。


「走行音が変わった!」「複々線区間に入ったんだ!」と例のマンガのネタを。


何気に電車バトル状態になるのも楽しい。



今日の目的駅はここ。いつの間にか綺麗になってるなあ。前来たの随分前だもんなあ。

 


道玄坂だよおっかさん(おのぼりさんなワタクシ)

 

というわけで、参加したイベントはこれ。

日本独立作家同盟(aiajp)主催セミナー。これを見に行った。



内容については、私も実況ツイートしたのでそのツイートを簡単にまとめました。下のリンクからどぞ。

日本独立作家同盟主催セミナー・橋本大也「デジハリ図書館長と一緒に考える『本を読ませる技術』」についてのリアルタイムツイート - Togetterまとめ

とても楽しかった。知的好奇心がすごく満たされるのはいいねえ。

あとでこれも講演録がAIAJPから出ると思うので、ぜひお読みください。おすすめ。



で。


これの入り口で本売ってるんだけど、きゃあ、うちの「激闘宇宙駆逐艦」も!

嬉しい。すごく嬉しい。だって、紙の本売ってもらうのって、すごく久しぶりだもん。

そりゃ、手に持ってもらえるのはすごく嬉しい。それで戻されるのは(´;ω;`)ブワッと泣きそうになるけど、それも含めて、ほんと、楽しいんだよね。ありがたいことである。というか恐縮。



あと、このセミナーで話題になった読書速度。



あとでやってみたらこんなでした。



で、楽しくてすっかり気分が良くなったので、帰宅して原稿うち。

01:59に8685字。ここまで書いて、ちょい煮詰まってたんだよね。


こんなCGも作ってたけど、


ちょい作りたくなってこんなCG作ったり。

簡単にできるかと思ったら意外と時間かかったり。

まあ、モデリングは昔からしてるのの流用なんで、楽なんだけどね。



で、ザクザク原稿書いてたら、


Googleドライブがトラブったり。



でも、できました。

04:14に10174字、最終的に06:19に10867字。


ううむ、ああいう知的な場に行くと、刺激受けて原稿捗るなあ。


というわけで、まもなく「鉄研でいず2」9話、公開の予定です。

よろしくですー。




あ、あと追記。

本とか書いて、謙遜するのは良くないっていうのの意味。


たぶんね、あれは、予防線になっちゃうからだと思う。

学校の試験で「いやー、全然勉強できなくて」って言っちゃう的な言い訳的謙遜ね。

実際は必死に徹夜して勉強して、眼真っ赤にしてても、つい言っちゃう的な。

作品書いて、がんばったのに「いや、なかなかうまくいかなくて」みたいな。


そういう予防線ってのは、私もよくやってしまう。

確かに、書き上がった時は「すげえ、おれ、ものすげえ大傑作書いちまった!」と思うよね。

というか、それぐらい頑張って、テンション上がるほどの作品でないと、よくない。


でも、人に見せるまでに、そのテンションがどんどん冷却されちゃうのね。

これはしかたない。人間って、どんどん見る目も腕も上がっちゃうからね。

それで、ああ、なんかできなかったかな、もっとうまくできなかったかな、って。

後でどんどんそう思うから、つい、その「なんか」の部分で、ちょっと不満をもっちゃうから、

その分、つい予防線を張る。


でも、そこで予防線はっちゃダメなんだと思う。

だって、読む人が見るのは、その予防線張ってる自分じゃなくて、

その書き終えてる作品なんだから。

「なんか」が足りない作品なんだから。


でも、その作品書いた時、全力だったわけでしょ?

そのあと自分がなにか物足りなさを感じていたとしても、

作品自身はその時、全力で書いたのは間違いない。

だから、それは自信持って読んでもらっていいし、

そっちのほうが、読者も頑張って読んで、楽しんでくれる。


わざわざ予防線張って、読者にそれでちょっとしょんぼりさせながら読ませることないよね。


その時頑張ったんだ、って自信と、

あとで「もっとうまくなりたい!」って思っちゃう向上心は、別のものだからね。


だから、予防線はりたくなっちゃうのはわかるとしても、

そこは、ぐっと堪えなきゃね。

書き手ってのはナイーブだから、その「なにか」で引け目感じちゃうけど、

でも、書いて読んでもらう以上、そこは、ぐっとわけないとね。



あと、予防線はるクセ作ると、

予防線のさらに予防線はりだして、

どんどん真剣勝負が怖くなることもあるので要注意だ☆



なんか足りないのは次の作品にぶつけて。

最新作だけでも、「もうマジで精一杯書いたから! 自分的に最高傑作だから!」

と言わなきゃね。

というか、毎回、そういえる作品にしなきゃね。


ちょいしんどいけど、でも、そっちのほうが、読者も楽しいもんだからね。


なんてことを思ったのです。



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