あれやこれやで遅れてしまいました。毎月やってる月刊群雛レビューの04月号ぶんです。
何をしていたかというと、身体にでかい不調がきたり、プライベートで面倒が起きたり、それでも『鉄研でいず』なんて連載小説書いて、あんまりにも読んでもらえなくて凹んだり(笑)してました。『鉄研でいず』、無料だけどね、やっぱりね、あそこではあんまウケないみたい。つーか、私自身今の時代に合わないみたいだけどね。ははは。
鉄研でいず! 女子高校生鉄道研究風雲録
密かに9話まで進んでます。
そんな私のレビューでほんと、すんません。でももしよろしければ。
では、目次順で。
事業者側からみた個人出版 大西隆幸
「セルフパブリッシングのプラットフォームには編集者が必要」のところにすごく納得。
そのとおりだよねえ。そこがこれからすごくしんどいところだよねえ。
編集のしごとって、難しいからねえ。でも、編集されない作品ってのは、限界ありすぎるもんねえ。
でも、いつか私もそういう能力持ちたいなあとも思う。いつも編集さんにはお世話になってるばっかりだし。
優しさの推論
私の作品なので、自分でレビューすべきではないと思う。というかしたら恥ずかしいというか。すまぬ。それなりに知恵を絞って書いたのですが……。途中でイメージの型変換ミスったような気がする。反省。
フーチー・クーチー・マン ヘリベマルヲ
作者個人のもっている問題意識とか色々考えさせられた。考えさせながら、私もすごく共感しちゃうところもある。
個人的に私もこういう作品を書いてた時期もある。でも、それはぜんぜん、未熟とかそういう意味じゃない。
どんどん作家として成長していく過程で、絶対に書かなくちゃいけないものなの。若いうちに描いておく必要があるものなんだよね。
特にこれをあとから書きたくなっても、絶対に書けないものだもの。苦しんでる最中でないと絶対に書けない。で、その苦しんで描いているところが、すごく読む側の胸を打ち、共感を呼ぶのね。
結局書いていくということは、一人の作業のようでいて、発表する時点で誰かと関わるし、関わらないなら発表しないしかない。でもそれはもっとすごくしんどいことなんだよね。
私もすごくそういう時期があったから、すごくシンクロする。でも、そういうところのしんどさが発酵していって、次なる物語への素地になっていっていくと思っているのです。
まず、この作者には、どんどん書いてほしいなと思った。どんどん読むから。
ちなみに「恩の押し売り」は私も今現在受けててすごくしんどいのです。
家族とか、書いてくこととか、露骨に私がドボンと今はまってる問題でもあるし。すごく一時期の私と似てるなあ、と。
書くために自分をOKと思いたいとか、そういうの、今の私もすごくそうなの。一番そこがしんどいよね。
私も書くのに正直、ぜんぜん自分をYESと言えてないです。未だに。だから、すごく共感する。
供犠を巡る物語 有坂汀
評論。視点としてアリと思う。
個人的には神話ってのは脳科学に基づいたものなんだと思ってる。
その脳科学から物語が、そして位置づけの中で神話が生まれて、それが政治的に神話の方に持っていかれるわけで、物語そのもの類型というのはそれほど大きくめちゃめちゃにはならないし、逆に共通のところが多くなるもんだと思っている。
その中ではたしてエヴァが現代の神話になっていけるのか。確かにエヴァでは少年よ神話になれ、と歌っていたなあ。
アプローチも興味深かった。なるほどと思うところも多い。
Xメン 竹島八百富
オモシロすぎる! うまいっ! まさに着想の勝利。なんか藤子不二雄さんのマンガみたいな、「すこし」「ふしぎ」でSFだっ!
いやいや、たしかにXメンだわ。秀逸。読んで笑いが止まらん。
ほんと、作者の独特の風味がすごく良く効いてるし。実にイイ。安定性も完成度も高いし。
安定感と完成度の高さではほんと、この作者はレベル高いなーと思う。
とにかくこれは読むべし。娯楽をちゃんと理解した作品だなあ、と納得の出来。楽しい。
レビューが短いのは、もう下手にレビューすると面白さをスポイルしちゃいそうなほど面白いと私がビビってるから。ほんとうに面白い。読むべし。
コナたんの夢 くろま
おお、ドラマだ。『月刊群雛』といえば初期の頃は中間小説が多くて、それはそれでよかったのだけど、これはそのなかでさらにドラマの方向に舵を切っていく感じ。
いろいろな構築も聞いてきていて、この方向はいいと思うので、さらにどんどん書いていってほしい。
子供から大人になっていく難しい年齢の、更に難しい心理的成長と、それによって失うものとか、そういうのがぎゅっと集約されているところの着眼がシャープ。シッカリ書いた味わいがある。
三人とリオ しんいち
マンガ。文句なしにおもしろかった。そして上手い。
どこかとぼけた味わいのなかで、マンガに必須なおもしろさがしっかり出ていて、読んで楽しい見て楽しい。コミカルな展開もイイ。狙い通りだと思う。すごく気持ちもいいし、個性も出てる。
私も好きな作品。とくに気前よく描いてるのが見てて特に楽しい。もっと読みたい。作品世界も好き。のんびりと読みながら、それでいて楽しい。
今の時代で、こういう作品を読めるのは、本当に贅沢でいいと思う。楽しいよね。
ガッテンの箱娘 波野發作
実は今回の月刊群雛っで、一番「おおっ!」と思った作品の一つ。
スペオペが一番楽しかった頃の雰囲気をうまく蘇らせてると思う。すごく好み。著者さんの前回の群雛に載せた作品より、さらに狙い目がシャープというか。私としてはノリが凄く合って、とても楽しかった。
前回のスラップスティックも良かったのかもしれないけど、私的にはこっちがすごく好み。……って、こうしてレビューすることが影響しちゃってるのかなと反省したり。
でも、アイティアとかが適切に整理して説明されてて、読みやすくなった。「説明ではなく描写を」なんて言うのあるけど、にもかかわらずSFは説明なければ絶対に無理だもんね。説明した上で、描写にもつながるというのしか方法ないもん。ほんと。でもその説明が楽しいから、十分いいと思う。
しかし前回の後日談、ということなんだけど、何だろうこの、すごく安心して楽しめる感じ、と思った。チューニングが成功してるのか、着地点に向けて物語のベクトルが安定したからかな。前作と比較してみてみたい。これだけ書き分けられるところに、私は著者に一目おくことになった。
これからにも楽しみにしたい。ほんと、豊かなスペオペの風味が出てる。
140文字の狂騒 加藤圭一郎
うん、確かに狂騒である。冷静な視点がきいている。確かに狂騒であるけど、あまりにも多くの人が狂って騒いでいるので、その人たちに響くかどうか。ターゲットが狭いのを自覚してるみたいだけど、でも、こういう視点は必要だし、書く人がいないと、もうだれも冷静になれないのね。
かといって「私は冷静なんです。あなたとは違うんです!」という嫌味さではなく、ほんとうの冷静さになってるのがいい。
こういう作品を発表する場は、狂ってる今の商業出版の世界にはないと思う。だからこそ月刊群雛とかセルフパブリッシングの存在価値の一つを示していると思う。
ウマが合う話 和良拓馬
前回、前々回とすごく秀逸でワタシ好みだったスポーツものの著者さん。もう完全に名前覚えちゃったもんね。
で、今回。ううむ。前は「ああっ、そうか!」という鮮やかさに、つい興奮した私だったのだが、ここで作者はぐっと味わい方面に舵を切った感じがする。
それに一瞬、「あれっ」と思ってしまったが、鮮やかさを期待しすぎて、この奥深い味わいを見過ごしそうになったのは私の不見識だと反省。遮眼革がかかっていたというか。
うんうん、競馬ファンの醍醐味を存分に表現している。滋味である。ただ「鮮やかな作品」を書いているんじゃない、背後にしっかりとした世界、ファンの持っている深い世界を感じさせてくれた。
といいつつ、実は最後の締めが、やっぱりすごく鮮やかなんだよね。
やっぱり、うぐぐ、うまいっ!
わた雪 盛実果子
モチーフを遺憾なく発揮したなあと思う。読んでいてシーンの構図が自然とテレビドラマのように浮かぶ。しかもすごく綺麗に。まさにHD画質というか。
で、うんうん、とキャラクターの機微を感じながら、楽しく最後まで読んだ。おおー、ドラマだよねえと感じるシーンも。
個人的に遠距離恋愛とか、別れとかそういうものにヨワいのです。そういうところで共感を持ってしまう。うんうん、雪国っぽい。雪の様子が多彩なのも狙い通りに見えて楽しい。
表紙イラスト Nyara
むむっ、むんと色気が強い。でもそれが綺麗さになってる。いいねえ。
あとがき
TANABEさん、おつかれさまですー。東奔西走っすね。お体にお気をつけてー。
晴海さん うん、わかるわかる! 最近私もそういう感覚がようやく出てきました。
西野さん すげー。海外っすか。視野が広いなあ。
竹元さん たぶんそのセカイの統治者、うちにもいますよ(ヒドイ)
鷹野さん おつかれさまです。私の花見は……(´;ω;`)ブワッ。でも、思えば花見の季節、私って毎年不調なんですよね……。
総括
ますます良くなってると思う。レベルの向上は間違いない。着実な歩みだなーと思う。いい意味でみんなが引っ張り合って互いを上のステージにあげて、それぞれの良さが際立ってきているように思う。
私としては、こうしてレビューすることで、その引っ張り合っているのに悪い影響しちゃってるかな、とすごく傲慢で思い上がったことを思っちゃうほど、実は今すごく自分がしんどいので、すまないな、と思ったりするのです(まあ、極度のウツですな)。
でもそのしんどい中でも、すごく楽しく読めたのは事実。
もうここまで来るとココロの救いだもん。
で、その心の救いになるのって、文学の意図しないでやってても持ってしまう力なんだよね。『ためになること』、『救いになること』『共感すること』『泣かせること』なんかぜんぜん書かなくても、文学作品は書いてあるだけで救いになる力を持っちゃう。それは、書く人が『書きたくてしかたがない』っていう根源的な力で書くから、それがエネルギーとして読み手に伝わって、自然と奮い立たせちゃうんだよね。読み手も『読みたくて仕方がない』ってことがあるから。そういうとき、まさに干天に慈雨なのね。
売れる売れない、読まれる読まれない、というのはあくまで副次的なもの。
書きたいものをどう正確に、適切に書くかっていう技術は、実は読んでもらうためじゃないの。作者が書くときに自信を持って書くためのものなのね。そのために文芸理論なんてものを使うの。
だいたい本質的に『読者の立場に立って』なんて、できるわけないんだから。あくまでも他人は他人だから。しんどいことだけど仕方がない。
でも、明らかに見て読みにくいところってのは、今のコンピュータですら、簡単に見つけられるのね。そういうのはもう、議論の余地なく、なおした方がいい。わざと読みにくくして読者をいじめたいなら別だけど、まずそこで変に争う必要は滅多にないわけだし。
そのうえで、編集さんは単純にコンピュータでも拾いきれないミス、バグを拾ってくれる。それはまず人間でないと出来ないこと。高度に作品の意味を理解できないと、編集って作業はできない。意味の理解ってのはムズカシイものだから。だから編集者という仕事はなくなんないのね。
そういうつまんないミス、バグを取り切って、仕上がった作品を見直すことで、自分で納得して、その上で次を書けるようになったら、そりゃ作品はパワフルになる。
読まれないんじゃないか、売れないんじゃないか、下手に見られるんじゃないか。そういう不安を持ったままの作品には不安がやっぱり出てしまう。それでも力があるのが文学のすごいところだけど、その不安を払拭していく作品は、ほんと、どんどん強い救いの力を持つのね。
それはどんな悲観的な作品でもそう。人間は悲観的なものを読みたくなることが、どうしてもあるからね。本当に。そういうときに寄り添ってくれる文学ってのは、すごくありがたい。楽しい作品もそうだけど、どんなに退廃的でも、それが心に沁みることがあるんですよ。
なかなかその力を得るに至るには私も途上なんで、ムズカシイけど、でも群雛に今回、そういうパワーがあって、すごく私は救われたのです。ほんと、ありがとうなのです。
文学は全く意図しなくても、完成すれば、書き手も救うし、読み手も救うんです。そういうことを感じました。文学の存在意義は、まさにそこなんだよね。
群雛はちゃんとそういう力のある文学として、ますます成立してきているな、と。
ほんと、感謝です。
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